koffie


朝日の眩しさに頭痛を覚えながらクラウドは重い足取りで道を歩いていた。
仕事を終えた、もとい見切りをつけた時間はもう朝とも言える時間。始発の時間を確認し会社を後にした。寝不足での運転は危険な為、もう随分とバイクには乗っていない。
外を歩く人はまばらで、時折大型のトラックが行き来する程度。


帰って僅かな睡眠をとり、また出社しなければならない。
会社の近所に引っ越す事を考えた事はあるが、それでは会社の思うつぼだと思い諦めた。


そんな会社と駅を行き来するだけの道の途中にあるコーヒーショップに入ろうと思ったのは偶々だった。
シャッターが降り明かりのない建物が並ぶ中、そこだけは早朝から営業している事を知ったのは、上司がセフィロスに変わって今の生活になった頃。
これまで気にも止めていなかったが、店から漏れる明かりに人恋しさを感じ、気がつくと扉を開けていた。相当疲れていたのだろう。


「いらっしゃい!」
中に入ると同時に元気な声をかけてきたのは、自分より色素の薄い金髪の髪の少年だった。
万遍の笑顔にクラウドは面食らう。会社はおろか、食事を買いに行くコンビニの店員にすらこんな顔を見せられた事はない。

「ご注文は?」
声をかけられ、我に返る。慌ててレジにあるメニューを確認すると、少年はくすくすと笑ってそのメニューを指差した。
「俺のオススメは、これかな」
メニューの上を滑る指先を目で追うと、辿り着いたのはミルクたっぷりの『カフェ・ラテ』

クラウドはコーヒーにこだわりなどないが、飲む時はブラックばかりでこの類いの物は飲んだ事が無い。
真っ先に選択肢から外していたであろうそれだったが、この時はこれでも良いかと思ってしまった。



簡素な紙コップに注がれたコーヒーを持ち、カウンターの席に着く。口を付け口内に広がるコーヒーの香りに、もうどれくらい家でコーヒーを淹れていないのだろうと思う。
ほぼ寝に帰っているだけの家には、先日電力会社から生存確認の手紙が入っていた。



店内を見渡すと、こんな早朝であるにもかかわらずそれなりに客が入っている様だ。おそらく大通りを行った先にある市場の者なのだろう。作業着でコーヒーを啜りながら先程の少年に「ジタンちゃーん」と軽く声をかけている。
(ジタンか…)
オヤジ達のからかい言葉に笑って応える少年の声を聞きつつ、新しく覚えた名前を記憶に刻み込む。

仕事で覚えなければならない事も山ほどあるが、今はひとまず脳から退けておいた。





何度目かの入店。
メニューを見る事もなくカフェラテを注文しようとした矢先、ジタンに「いつものでいい?」と声をかけられた。
注文のやり取り以外で声をかけられたのは初めてで、クラウドは慌てそうになるのを堪え、「ああ」と短く返事をする。感情を表に出さない事は慣れている。

「お兄さんいつも朝早いけど、市場の人?」
でもオッサン達はスーツなんて来てないしなぁと、コーヒーの機械を操作しながらジタンが尋ねてきた。
「…いや、今から帰るんだ」
「え、じゃあ今まで仕事してたってコト?」
大変だな、と言ったきりジタンは黙ってしまった。
期待してたほど面白い答えが返ってこなかっただろう。折角のチャンスを棒に振ってしまい、クラウドは溜め息をついた。

(チャンスって、何のだ…)

カフェラテが完成するまでの時間がやけに長く感じる。
そしてようやく受け取ると、ジタンに手招きをされて何やら耳打ちをされた。
「店長にはナイショな?」
「ああ…」
何の事なのか分からないままそう返事をし、クラウドは定位置となっているカウンターへと移動した。
小さく息を吐きカップに口を付けようとした時、ある事に気がついた。

紙コップに、何かが書いてあるのだ。

カップをくるりと回し、正面に移動させて絶句する。



『いつもお疲れさま!』



そんなメッセージと、可愛らしいチョコボのイラスト。



コーヒーが出てくるまでに時間がかかっていると思ったのは気のせいではなく、これを書いていたかららしい。それを見たクラウドの頬が緩む。最近こんなふうに笑った記憶も無い。
此処へ来てからというもの、“人らしさ”を取り戻せていっている気がした。

そしてカフェラテを口に含むと、ミルクの他に甘いクリームの味がした。
クラウドは思わずジタンを見たが、ジタンは他の客の対応中で。

それは追加料金が必要なはずのクリームだった。



『店長にはナイショな?』



それはこれに対して言われた言葉だった。







珍しく一時間まるまる昼休憩がとれた日。クラウドはコンビニでサンドイッチと飲み物を持って近くの公園を訪れていた。
オフィス街と学校しかないこの地は朝と夜は人気がないが、昼となると人で溢れ返る。この公園も例外ではなく、同じように昼食を持って訪れている者が多かった。

クラウドはようやく見つけたベンチに腰を下ろしてサンドイッチを口に運ぶ。
今日はセフィロスが出張で居ないので比較的仕事が楽だが、明日にはまた激務が待っているのだろう。
それを思うだけで、またあのコーヒーショップに行きたくなってしまった。



「あれ、常連のお兄さん?」



昼の陽気と寝不足でうとうとしていた時に聞こえた声に、これは夢かとクラウドは思ってしまう。
顔を上げると、小柄な少年が自分を覗き込んでいた。
「やっぱり常連さんだ」
声の主はジタンだった。昼食用の菓子パンを片手に持っている少年は相手がクラウドだと確認すると、ベンチの隣に腰を下ろし並んで座ってくる。
「何故…」
「ん?俺、このあたりの学校に通ってるからさ」

ああ、だからあの店でバイトをしているのか。クラウドが納得する。
しかし、“常連さん”とは…。

「覚えられてしまうほど店に行っていて、すまないな」
「なんで?大歓迎だぜ、オッサンばっかりの店にイケメンのお兄さんが来てくれるんだからさ」
屈託のない笑顔に、固まった心が溶かされていく気分になる。
ここはいつもの店の中ではない。営業目的でない素の表情が更にそれを助長させる。

「でもまだ仕事の時間じゃないんじゃ…」
ジタンの言葉にクラウドは首を傾げた。
「俺も、このあたりで働いている。今は昼休みだ」
「え」
パンに齧り付いていたジタンの手が止まる。
そして視線を泳がせると、鼻の先を掻いて申し訳なさそうに笑った。
「…夜のオシゴトしてる人かと思ってた」
「それはないだろ…」
「だってさ、朝早くに仕事帰りのイケメンが来たら、誰だってそう思うだろ!」
騙されたー!と悔しがるジタンに、クラウドの顔に自然に笑みが浮かんだ。





それからの一時間はあっという間だった。

ジタンがセフィロスの暴君ぶりに憤ったり。
カウンターの中では踏み台を使っていたらしいジタンが思いのほか背が低いことに驚いていたら、また憤られたり。
怒らせてばかりな気もしたが、むくれた後にすぐ変わる笑顔に、機嫌を損ねているわけではない事がわかる。



やがて公園の時計を見たジタンが「やべっ」と声を出し、ベンチから立ち上がった。
「じゃあ俺、ガッコに戻るな」
「ああ」
ゴミの入ったコンビニ袋をベンチの横にあるゴミ箱に捨て、ジタンが立ち去ろうとする。
「あ」
しかし何かを思い出したらしく、その足が止まった。

「俺もうすぐあの店辞めるかも」
「…やめる?」
「そ。だからお兄さんの顔が見れなくなるのが心配でさ。…あんま無理するなよな」

それだけ言い残すと、ジタンは公園を後にした。

残されたクラウドは呆然とペットボトルを握りしめている。



連絡先を聞くのを忘れた。
それ以前に名前も名乗っていない。



もうすぐ、いなくなる…?



クラウドの脳裏をぐるぐると思考が駆け巡る。仕事ですらこんなに頭を使った事はない。





とりあえず今日も残業して、あの店に行こう。


それからどうするべきなのか。
考えがまとまる事のないまま、時計は一時を指していた。