9受詰め


・クジャジタ


ジタンは深く息を吐きながら、目の前のふたつの背中を見つめた。
吐く息に熱が籠もる事に比例して、身体の中心からなんともいえないむず痒さがこみ上げてくる。これがどういった状況なのかはすぐに察しはついたが、こんな道を歩いている最中に性的欲求を感じるのはどうかしている。それも、強烈な。
「ジタン?」
気付かれないように後ろを歩いていたのだが、黙っているジタンを不審に思ったらしい。バッツが振り返り声をかけると、スコールもまたジタンに視線を向けた。
「具合悪いのか?」
バッツの指先が髪に触れ、ジタンはぶわりと尻尾の毛を逆立てた。
「少し熱があるんじゃないのか」
手袋を外したスコールがジタンの首に触れ、体温を確認してそう呟く。首筋に触れるのは勘弁してほしい。ジタンはぎゅっと唇を噛み、乱れる息を隠した。
「もうすぐテントのある場所に着くから、おぶってやろうか?」
「……っ! や、大丈夫」
ジタンを持ち上げようとするバッツの手から逃れ、ジタンは足早に野営地へと向かった。


「少し寝るから、悪いけど誰もテントに近づかないようにしてくんねえかな」
「ん、分かった。何かあったら呼べよ」
思いのほかあっさりとジタンの要求を聞き入れたバッツは、手の平を振りながらテントを後にした。テントの幕が下ろされ、足音が遠ざかっていくと、ジタンは安堵の息を漏らす。
「……!」
毛布を握った手が視界に入り、その色にジタンは目を見開いた。
ピンク色の毛に覆われた腕。トランスしてしまっているのだ。
「間一髪……」
バッツが出て行くのがもう数秒遅かったらこの姿を見られてしまっただろう。ジタンは倒れるように横になると、小さく身体を丸めた。

テントの中でそんな事が起きているのを知らないバッツは、先にテントを出ていたスコールの元へと向かっていた。
「ひとりにしてくれってさ」
「大丈夫なのか?」
病気なら看病が必要ではないのか。しかしバッツは困ったような顔で肩を竦めた。
「珍しくジタンから休みたいって言ってくれたし、しばらくはそっとしておこうぜ」
暫くしてからまた様子を伺いにこよう。
バッツとスコールは他の仲間たちに伝えるため、その場を後にした。


「ずいぶんと、面白いことになっているね」
頭上から聞こえた声に、ジタンは閉じていた目を開いた。
赤く変化した瞳に映る、銀の長い髪。
「……クジャ」
いつの間にテントに侵入したのか。ジタンはゆっくりと起き上がり、侵入者を睨み上げた。
「放っておこうとも思ったけど、誘われているのに無視をするのもね」
「誘う…?」
「なんだ、気付いてないのかい? 君、発情の匂いがすごいんだよ」

『発情』
ジタンの身体に灯る熱を表現するのに、的確なものだった。
身体は火照り、なんとか解消しようと自分で触れてみても疼きはなかなか治まることが無く、変なことを口走らないように隔離をしてもらって。
「まあ、同種族じゃないと匂いは分からないと思うけどね」
バッツとスコールはそれに気付いていない。唯一、同じジェノムであるクジャだけが匂いを感じ取ったのだ。
「まったく、今までどう解消してたんだい」
「どうもこうも、こんな風になるのはこれが初めてだ」
今まで性的欲求は無かったわけではないが、それは年頃の男として正常なものだっただろう。こんなに、興奮状態になりトランスまでしてしまうほどの衝動は経験がない。
「ふうん。たまたまその時期に僕が近くにいたせいで反応したのか───」

「───あのふたりのどちらかに強い想いがあるのか、どちらかだね」

びくりと肩を震わせたジタンは唇を噛み、答えることはしなかった。しかしクジャにとっては答えは重要ではないらしく、答えを待たずにジタンの前へ跪く。
「解消しないと発情は治まらないよ。手伝ってあげよう」
「オレと寝るってのか」
「だからね君、匂いがすごいんだよ。僕までひきずられて……いい迷惑だ」
クジャもまた、ジタンの発情に反応してしまったのだ。
クジャと性行為をするなど想像したこともない。しかしあまり考えている暇はなかった。バッツとスコールは時間が経てばテントに戻ってきてしまうだろう。

それならば、ふたりが戻ってくる前に。

ジタンは重い身体を動かすと、荷物の中からタオル代わりの布を取り出した。そしてそれをクジャに差し出す。
「そういう趣味かい?」
「んなわけねーだろ」
心底嫌そうな顔をするジタンの口元に、布が押し当てられる。口を塞がれるのは苦しいが、声が外に漏れては困るのだ。
ぎゅっと頭の後ろで布が結ばれると、肩を押される。ジタンはそれに抵抗することなく地面へうつ伏せに身体を横たえた。
顔の横に置かれたクジャの手が視界に入る。
そして尻尾をぐっと掴まれ、ジタンは目を閉じてぐっと拳を握り締めた。








・59


「なあ、バッツ」
名を呼ばれ、声の方向に顔を向けると、ジタンがぐっと身体を乗り出してきた。
テントの中でふたりきりで、スコールは暫くは戻ってこない。こんな時にジタンがこういう声を出す時は、何を求めているのか大抵決まっている。
「ん、溜まった?」
「そうだよ」
バッツの言い方にむっとしながらもジタンは肯定する。バッツはその金の髪を撫でながら、額にキスをした。


自分たちは恋人同士ではない。こうして身体を重ねるのは性的欲求を解消するためであって、想いを交わすためではないのだ。
意外なことにこんな関係を持ち掛けてきたのはジタンのだった。
「女の子にこんな事させるわけにはいかないだろ」
男なら良いという問題ではないんじゃないかと突っ込みを入れると、ジタンは眉を寄せた。
「誰でもいいわけじゃねえよ」
親友だからこそ身体を任せられるのだと。そう言われると悪い気はしなかった。自分も男を抱けと言われたら、ジタンかスコールを選ぶだろう。ふたりの間に、あっさりと関係が成立した。
「おれだけ? スコールはどうなんだ?」
「あいつはこんな事、割り切れる性格じゃないだろ」
「……そうだな」
親友と呼べる相手とはいえ、スコールは想い合う者以外と簡単に肌を重ねるとは考え辛い。

この時のジタンの表情を見て、バッツは胸にちりっと焼けるような感覚を覚えた。



「…いって!」
「あ、悪い」
服を脱ぎ、毛布を敷いた床にジタンを押さえつけた時、考え事をしていたバッツはジタンの肩を押さえる手に力を入れすぎてしまった。
「なんか機嫌悪いな」
「えー、そうでもないぜ」
ははっとバッツは笑うが、ジタンは誤魔化されないとばかりに尻尾でバッツの背中を叩いた。さすがにジタンの目は誤魔化されないらしい。
「ちょっとスコールに妬いてたんだ」
「はあ?」
ここにいないスコールの名前を突然出され、ジタンは思いっきり顔をしかめた。確かに突然そんな事を言われても訳がわからないだろう。
「なんでもないって」
ジタンの唇に触れるだけのキスをすると、納得はしていないようだがジタンは尻尾を引っ込めた。
そして舌を差し入れるとジタンの小さな手がバッツの背に回されてくる。
その手が自分をしっかりと抱くように力が籠るのを感じると、バッツは考える事を放棄した。








・19


ヒュンと乾いた音を立ててイミテーションの持つ剣が柔らかな皮膚を切り裂く。
剥き出しの腕に触れた刃の冷たさに、切られたと察したジタンが眉を寄せた。とっさに後ろへ飛び退いたジタンに、イミテーションは再び剣を振り下ろす。ジタンは腕を伝う生ぬるいものに気を止める事なく、双剣を構えた。重い剣をそのまま受け止める事はせず、弧を描く刃を利用し、振り下ろされた剣の重量を横に逸らす。そしてもう片方の剣でイミテーションの首に一撃を食らわせた。
油断はしたが手強い相手ではない。ジタンが追撃をしようと双剣を構え直した、その時だった。イミテーションの動きが止まり、その場に倒れ込んだのだ。
「……wol!」
イミテーションの背後に回り込み止めを指したのはwolだった。彼は倒れたイミテーションに目をくれる事なく、剣を鞘に納める。
「なんで…」
wolはジタンと離れた場所でもう一体の相手をしていたはず。それを倒した後に援護に来たのだろうが、ジタンは不利な状況にあるわけではなかった。そのまま放っておいても一人でイミテーションを倒せたのだ。
それはwolにもわかっていたはず。彼の意図が読めず困惑していると、wolは大股でジタンの元へと歩み寄っていった。
「う、わ…っ」
そしてその小さな身体を、横抱きに抱えあげた。
「手当てをしよう」
「え、でも足を怪我したわけじゃないんだぞ!?」
流血はしているが、少し皮膚を切られた程度で怪我と呼ぶには大袈裟なもので。
ジタンは下ろすようwolに頼むが彼はそれに応じず、ジタンを抱えたま歩き出してしまった。ジタンは何度か身じろぎをしたものの、しっかり抱えて話さない手に諦めて、野営地まで素直に運ばれていった。
wolに抱えられたままテントまで連れていかれ、そこでようやく地面へと下ろされる。それにほっとするのと同時に、ジタンはwolの突然の行動に困惑した。
傷口を消毒し、丁寧な手つきで包帯を巻かれていく。すでに血は止まっていたので少々やりすぎではと思ってしまう。
「あのさ、wol……」
「……」
手当てを終え、白い包帯が巻かれた腕を離そうとはせず、wolはその包帯を凝視している。
「すまなかった」
「え?」
大きな身体を曲げてジタンの腕の包帯に額をこすり付けながら、wolはようやく口を開いた。
「目の前で君が斬られる所を見たら、冷静でいられなくなった」
「ーーー…」



戦いの絶えないこの世界でこの程度の怪我に気をとられていては、却って危険に繋がる事にもなる。
それはwolが一番よくわかっているはずだ。重傷の者がいたとしても、ここまで冷静を欠いた姿を見せる事など今までなかった。



武骨な手で包帯をさすられ、ジタンは天を仰いだ。



wolは自分に惚れている。
それに気づかないほどジタンは鈍感ではなかった。
しかしジタンとは対照的に、wolは自身の気持ちに気づいてはいない。ジタンの事が好きだと、全身で示しているのにもかかわらずだ。

愛だの恋だの、そういった概念が彼の中に存在するのかも不明である。これはジタンも頭を抱えざるを得ない。
wolが自覚のない感情にふりまわされ、こうして軽い怪我をする度に連れ帰られてしまうのはとても困る。ジタンに対して冷静を欠いてしまう理由を彼が自覚しなければ、今後もこういった事は起きてしまうだろう。

「あのさ、wol…」
困り果てたジタンは、ゆらりと尻尾を揺らした。
ジタン自身も彼の気持ちを不快なものと感じていない事に、気付かぬまま。