文化祭の裏で


後頭部の鈍い痛みと、遠くに聞こえる喧騒。
薄暗い部屋の中で目を覚ましたジタンは、目の前に立つ人物を見上げると、すぐに自分の置かれた状況を理解した。
薄暗いのはカーテンを閉め切っているからだ。文化祭の間、使われない教室は立ち入り禁止となり、こうして閉められている。本来なら部外者は入れないはずの場所だ。
それゆえにここを出入りする生徒もゼロに近い。こうして『連れ込む』にはうってつけの場所でもある。
「やっぱり可愛いなぁ…」
ふうふうと息を荒くしている男は知り合いではないが、文化祭の間、ジタンの暮らすのメイド喫茶に入り浸っていた男だ。給仕している間もずっと目で追われていたので覚えている。
休憩のために教室を出た後の記憶がない。おそらくは殴られたのだろう、この男に。
じりっ…と足を踏み出した男に、ジタンは思わず後ずさってしまう。クラス内でメイド服が似合う、可愛いとさんざん言われてきたが、この男に同じことを言われると生理的嫌悪を覚えた。
逃げようと思ったところで、両手首が縛られている事に気付がいた。
(……くそっ)
下手に動いてはこの男を挑発しかねない。ジタンは早くなる鼓動を落ち着かせるように息をつき、口を開いた。
「なあ、こんな格好してるけど、オレ男なんだよ」
「もちろん知ってるよ」
「……マジか」
自分を女性だと思っての行動ならなんとか回避できるかと思ったのだが、相手はジタンを『女装した男』だと理解した上で連れ去った。つまりはただの変態である。
「毎年来ているけど、君みたいな子が入ってきてくれるなんて嬉しいなあ」
「……っ!」
男はにやつきながらジタンの前にしゃがむと、黒いスカートに手を伸ばした。レースのペチコートごとスカートを掴み上げられ、ジタンは慌てて足を閉じる。男は性急に服を脱がそうとはせず、やけにゆっくりとスカートを持ち上げていった。徐々に露になる足を見て息遣いが荒くなっていくのを感じ、ジタンは寒気を覚える。
太股のガーターストッキングが見える頃になると男の興奮は最高潮に達し、頑なに閉じているジタンの足に手をかけ開かせようとした。
「…っんの、ヤロ!」
これ以上黙ってはいられず、ジタンは男を蹴り飛ばした。
小さく呻き声を出して後ろに座り込んだ男だったが、痛みよりも蹴り上げた際に見えたジタンの下着に意識が向いた様で、あまりの気持ちの悪さにジタンは涙目になってしまう。
「下着までちゃんと揃えてるんだね…。生地が小さくてきつくないかい?」
「く、来るんじゃねー!」
何度蹴っても怯まない男に、もうこのまま奪われてしまうのかと絶望した時。それまではなかった第三者の声が教室内から聞こえた。

「うちはそういうサービスはしていないんだけど?」

「……バッツ!!」
ジタンが名を呼ぶのと同時に、足に触れていた男の身体が後ろへと投げ飛ばされた。
「ぐあ…っ」
「ここは立ち入り禁止だし、うちのメイドに手を出されちゃ困るぜ」
次の瞬間、呻き声が教室内に響き渡った。ジタンがあれだけ蹴ってもびくともしなかった男が、バッツの蹴りひとつでうずくまったのである。
「さて、お出掛けの時間ですよ、ご主人様」
お出掛けの時間というのは客に退席を促す際に言っている言葉である。
バッツが扉のほうに指を差すと、男は転がるようにその扉から逃げていった。



「毎年来るやつなんだよ。可愛い男の子目当てらしいんだけど、手を出す甲斐性があったなんてな」
「……さすが留年してるだけあるな」
「だろー。感謝しろよ」
連れ去られる前に頭を殴られたこともあり、ジタンは保健室に連れてこられた。幸い怪我という怪我はなく、軽い脳震盪だろうと保険医に告げられた。殴られたということは伏せて。
保険医が去った後、ジタンはベッドに座りストッキングを脱いだ。男に足を捕まれた際に破れてしまったのだ。
「ジタンに目を付けてたのは分かってたんだけど、遅れてごめんな」
「いーって。なにもされなかったし」
心から気持ち悪い思いはしたが、貞操は守られた。
男の息遣いを思い出して尻尾を逆立てていると、顔に固いものが当たる。
バッツに抱きしめられたのだ。
「少し痛め付けといたからもう来ないと思うけど、何かあったらすぐ言うんだぞ」
「……わかった」
男らしい固い胸板を押し付けられているというのに、安堵して身体の力が抜けていくことにジタンは笑ってしまう。そこには嫌悪感などはなく、ただひたすらに温かい。
「バッツがその格好じゃなかったら惚れてたかもな」
ジタンとバッツの胸の間にあるのは、白いエプロンドレス。
バッツもジタンと同じく、メイド服を着ていたのだ。
「えー、可愛いだろ」
不服そうに言うバッツに、ジタンは声をあげて笑う。

窓の外から、文化祭のクライマックスを飾る花火の音が鳴り響いた。