その後のふたり



・スコール



冬の兆しを感じさせる気温が続いた週の日曜日。この日はよく晴れ、乾いた空気に暖かな日差しが心地いい。スコールは薄手のジャケットを羽織り、繁華街へと足を向けていた。
街は同じ年頃の学生で賑わっている。しかしスコールの目的はただの買出しだ。用事が済めばすぐに帰るつもりだった。
「なあ、ちょっと」
最初はその声が自分にかけられたものだとは気付かなかった。そのまま素通りしそうになったとき、小さな影がスコールの進行を塞いだ。
視線を下ろした先にいたのは、金の髪の小柄な少女。
後ろから覗く、特徴的な尻尾。
細い身体を隠すように少し大きめのパーカーを羽織り、ハーフパンツを穿いている。ああ、これなら転んでも中が見える危険はないなとぼんやりと思ったところで、スコールは頬を紅潮させた。
目の前にいるのは、文化祭の日に保健室で出会った女子生徒だ。
「……オレのこと覚えてるみたいだな。ならちょうどいいや」
スコールの顔を見て察したのか、少女は苦笑いを浮かべる。
「この映画が見たいんだけどさ、このチケットだと一人じゃ入れないんだよ。だから暇だったら付き合ってくんねえかな」
「映画……?」
そう言われ、スコールは道沿いの建物を見上げる。自分はちょうど映画館の前を通っていたのだ。
最新の映画の看板が大きく飾られ、リバイバル上映の案内も小さくだが付いている。少女が手渡してきたチケットを見ると、それはリバイバル映画のほうだった。
昔の、恋愛映画。
「友達みんな恋愛映画なんて見ないしさ。だから一人で来たんだけど」
「そうなのか?」
女性はこういった映画が好きだとばかり思っていたのだが。
「付き合ってくれたら、パンツ見たことチャラにしてやるよ」
「…………」

スコールに拒否権はなかった。



「うわぁ……」
指定された席は、大人ふたりがようやく座れる大きさの椅子。カップルシートだった。少女も受付でそれを初めて知ったらしく、スコールに何かを言いかけていた口を噤み、なんともいえない顔をしていた。
「悪いな、嫌だったら途中で帰っていいし」
「あ、ああ…」
諦めて椅子に座った少女に続き、スコールも隣に腰を下ろす。少女が小柄なためか、過度に密着するということはなかった。
先ほど購入したパンフレットを眺め、機嫌の良さそうに揺れる尻尾が手に当たってくすぐったい。
「あんたはこういう映画が好きなのか?」
「映画ならなんでも好きだぜ。SFとかホラーも見るし」
「…そうか」
そう語る少女の言葉は本物で、照明が落ち、スクリーンに映し出される明かりに照らされた横顔は、映画のシーンごとにくるくると表情が変わっていた。
場内に笑いが起こるシーンでは口に手を当て声を立てないように笑い、恋人が擦れ違うシーンでは憂いを帯びた表情になり。
映画の内容は頭には入ってこなかったが、自分がいたことでこの映画が見れたのならそれでいいかと思わせるものが、そこにはあった。



「最後まで付き合ってくれてありがとな」
「いや、思いのほか面白かったからな」
あんたの表情が。
それを言うとさすがに怒りを買いそうなので、言わないが。
「あ、そうだ」
映画館から出たところで、くるりと少女が振り返る。
「名前、言ってなかったよな。オレはジタン」
「……スコールだ」
「スコールか。同じ学校だし、また会うこともあるかもな」

ジタンは今日一番の笑顔でそう言うと、手を振りながら街の喧騒へ消えていく。
その尻尾が見えなくなると、スコールは当初の目的を思い出し、反対方向へと歩いていった。







・ジタン



街を行きかう人々を眺めながら、ジタンは肩を落としていた。
手には映画のチケットが一枚。ジタンが映画好きなのを知っている友人からもらった招待券なのだが、ペアチケットと書かれたそれは一人では使えないと受付の人に言われてしまったのだ。
「やっぱりバッツを連れてくればよかったなぁ」
バッツを含むクラスメイトの友人達は、恋愛映画を嗜むような趣味はない。だから一人で来たのだが。バッツに電話をかけてはみたものの、いつもの放浪癖が出ているのか、一向に出る気配はなかった。
「誰か通らないかな」
これだけ人がいれば、友人の一人くらい居そうなものだが。そう辺りを見渡していると、人混みの中でもやたら目立つ顔をした青年に視線が向いた。
あの整いすぎている顔と額の傷は忘れもしない。文化祭で会った、同じ学校の生徒だ。
本人は気付いていないだろうが、道行く女性のほとんどがその青年を見ては頬を染めたり、友人と盛り上がったりしている。ああ、あんな顔に生まれたかったとジタンは改めて思った。
そんな彼も一人のようで、まっすぐこちらへ向かってきている。ジタンはダメ元で声をかけてみることにした。
「なあ、ちょっと」
横から声をかけたが青年は気付かない。仕方なくジタンは進路を塞ぐように彼の前に立った。そこでようやく気付いた青年はジタンを凝視し、一瞬間を開けてから盛大に赤面する。
覚えられている。それも、嫌な光景を。
「……オレのこと覚えてるみたいだな。ならちょうどいいや」
自分への認識があの女装にあるのは不本意だが、せっかく見つけた一応は顔見知りを逃す理由はない。
ジタンは青年を映画に誘ってみた。少し、脅しも入れて。



「あのさ、オレは本当はおと……」
「カップルシートですね」
「へ?」
せめて自分への誤解をひとつ解いておきたくて、ジタンは受付にチケットを出しながら青年に声をかけようとした。しかしそれは受付女性の衝撃的な一言に阻まれてしまう。
カップルシート。それはその名の通り、カップルがひとつの椅子に仲良く座るための特別席である。
ひとりでは入れなかった理由はこれだったようだ。受付の女性も何の疑問もなく自分達をカップルだと認識している。
今日は女装はしてないのに。ジタンは思い切り顔をしかめてしまった。

「悪いな、嫌だったら途中で帰っていいし」
さすがにカップルシートで最後まで付き合わせるのは気が引け、ジタンは青年にそう言ったのだが、彼は途中で帰ることはなかった。
映画に夢中になってしまい、気が付いたらエンドロールを向かえていた。慌てて隣に顔を向けると視線が合い、僅かに微笑まれる。
なんて顔をしてるんだ。
自分が女性だったら一発で落ちてしまっただろう。ジタンはわずかに頬を染めたが、薄暗い中でそれに気付かれることはなかった。





「なあ、スコールって知ってるか?」
翌日、登校してきたバッツにジタンがそう探りを入れる。留年しているバッツならスコールのことを知っているのかと思ったのだ。
「ん、なんでスコールのこと知ってるんだ?」
「や、ほら、顔が目立つし」
ジタンの答えに、バッツは声を出して笑った。
「たしかに目立つよな〜。去年同じクラスだったんだ。今でもたまに遊ぶぜ」
「……まじか」
バッツとスコールが友人同士であることにジタンは驚いた。ふたりが仲良く遊んでる光景がとても想像できない。
「そういえば女の子と映画館から出てきたって話聞いたんだけど、彼女できたのかな、あいつ」
「………………」
それは紛れも無く自分のことである。遠目から見てもそんな風に見えてしまっていたのかとジタンは肩を落とす。

そして自分の性別への誤解を解き忘れたことに気が付くのは、少し後のことである。