騎士とジェノム


夕食を終え、皆がそれぞれのテントへと戻って行った頃。
ジタンとレオンは焚き火の前に並んで座っていた。今晩は二人が火の番をする日だからだ。
乾いた木の枝をぽきりと折っては火に焼べる。特に何を話すでもなくそう過ごしていた時、テントに戻っていたはずのスコールとジタンが、二人の元へ戻ってきた。
二人の事はバッツに任せたはずだ。どうしたのかと尋ねると、スコールが一冊の本を差し出してきた。
「絵本?」
それを受け取ったジタンが聞くと、スコールとジタンが同時に頷く。
「さっきバッツにもらったんだ。レオンかジタンに読んでもらうといいよって」
素材アイテムの中には書籍類がいくつか存在する。おそらくその一部で、子供に適した物を渡したのだろう。
表紙には大きな獣と可憐な少女の絵が描かれている。経験上、物語の類いに詳しいジタンは、この絵に見覚えがあった。
「“美女と野獣”だな。恐ろしい姿をした野獣が女の子と恋に落ちる話だよ」
「そのかいぶつが?なんで?」
探究心に目を輝かせて聞いてきたのはジタンだ。スコールも本を好んで読むほうではあるが、ジタンはこういった『物語り』に目がなかった。
「うーん…」
どうしようかと、ジタンは絵本をぺらぺらと捲り出す。
子供達が眠る時間にはまだ少し早い。少しくらいならいいかと、ジタンは絵本をレオンへと手渡した。
「なんだ?」
てっきり読み聞かせるのだと思っていたレオンが絵本を受け取りながら怪訝な顔をする。
そんなレオンの言いたい事は聞かずとも分かる。ジタンは絵本を開かせながら、悪戯な子供の様にウインクをした。
「俺が『野獣』で、レオンは『美女』役な」
「俺もやるのか?」
しかも、よりにもよって姫役とは。
「言葉遣いは適当に変えていいぜ。物語が伝わればいいんだからな」
言われなくとも、女言葉など演技でも御免だ。楽しい遊びを見つけたジタンには何を言っても無駄だと分かっているレオンは、諦めて絵本に目を通し始めた。
その配役に首を傾げたのは子供達である。
「どうしてジタンが野獣で、レオンがお姫様なの?」
単純に体格差から考えて逆だろうと言うと。
「んー、リアリティ?」
そう一言だけ返ってきた。



ジタンはストーリーを知っているからと、絵本を見ずに立ち上がった。レオンは座ったままである。

そしてジタンは手振りをつけながら、物語を語り始めた。



 むかしむかし、とあるお城に若く我侭な王子様がいました。
 ある夜、一人の老婆が一本の薔薇を差し出し、一晩の宿を与えて欲しいと城を訪ねてきました。
 しかし王子は、そのみすぼらしい姿を見て、老婆を追い返してしまったのです。

 すると老婆は美しい魔女へと姿を変えました。

 王子はそれを見て詫びようとするものの、時はすでに遅く。
 見た目に騙され、相手の本質を見ようとしない王子に、罰として魔女は魔法をかけました。



語り手も兼ねているジタンがそこまで読み上げると、突如ジタンの身体に銀色の光が宿る。
そして。


「王子様は醜く恐ろしい野獣へと、姿を変えられてしまったのです」


ジタンが銀色の毛をもつ獣の様な姿へと変化する。トランスだ。
それに子供達が歓声をあげた。リアリティというのはこの事だったのだ。



 魔女は野獣に先程の薔薇を与え、こう言いました。
 この薔薇が枯れるまでに人を愛する事を学び、また同じように愛し返されなさい。
 さもなければ一生その醜い姿で生きて行く事になる……と。



野獣が絶望に打ちひしがれ、鳴き声をあげる。
昔、劇団員をしていたというのは本当らしい。迫真の演技に、子供達だけでなくレオンも唾を飲み込んだ。


場面は変わり、野獣に囚われた父を救いに少女が城へと訪れたシーン。レオンの出番だ。
「…お父さん」
「…………」
その一言すら凄まじい棒読みで、大根役者というのはこういう事を言うのだろう。子供達は気にしていない様だったが、ジタンは吹きかけ、必死に笑いを堪えた。ここでレオンの機嫌を損ねては物語が進まないからだ。

交換条件で城に軟禁された少女だったが、野獣の不器用な愛情に惹かれ、野獣もまた少女の優しさに惹かれて行く。
しかし野獣の存在を知った町の男達が城へと攻め行ってくるではないか。
野獣と敵役の戦いに、スコールとジタンははらはらと拳を握りしめる。
やがて決着がつき、野獣は勝利した。しかし同時に致命傷も負ってしまっていた。
薔薇の花びらも最後の一枚となり、迫る時を告げる。

ジタンはがくりと倒れ込み、レオンはその身体を抱き上げ、そっと手をとった。
「もう少し、早く戻ってきていれば…」
「…いいんだよ、もう。こうなって良かったのかもしれない」
ジタンが自嘲するように笑う。
レオンはそんなジタンの姿を見つめると、持っていた絵本を地面へ置いた。そして手を握る力を強め、目を伏せるジタンへと顔を近づけて行く。
「…そんな事を言うな。共に居れば…お前と二人でなら、何だってできる」
「……?」
レオンの声色の変化にジタンは目を伏せつつ戸惑う。
台詞は間違ってはいない。しかし先程までとは圧倒的に違うもの────言葉に感情が籠り、拙い演技が影を潜める。


「────────愛している」


絞るように口にした愛の言葉。レオンがジタンに口付ける────子供の前なので唇の横を、であったが。
その直後に、最後の花びらがはらりと落ちた。


「…………」
「……………」
「………おい」
感動的なクライマックス。物語では野獣は息を吹き返し、元の人間の姿に戻るはずだった。
しかしジタンは目は見開いてはいるものの、トランスを解かないでいた。
何故解かないのかレオンにはわからなかったが、これでは物語が終わらない。顔を見合わせる子供達に焦り、早く戻る様に耳打ちするが、ジタンは戸惑いながら「戻れない…」と呟いた。
このままでは埒があかない。レオンは目覚めたジタンを抱き寄せ、銀色の髪を指に絡ませる。
「…姿など関係ない。お前がお前である限り、俺はお前を…愛している」
「…レ、オン」
唇が触れそうな距離で囁かれた台詞に、役名で呼ぶのも忘れ、ジタンの顔が紅潮する。
それは焚き火の赤い光に隠されレオン自身にも気付かれなかったが、ジタンは隠すようにレオンの首元に顔を擦り付けた。
スコールとジタンは暫く呆然としていたが、やがて小さな拍手を打ち始めた。そういうお話なのだと誤解した様だったが、不測の事態に陥った両親にとってはそれは都合がよかった。


「これで終わりだ。そろそろ時間も遅いだろう、テントに戻って休め」
「はーい」
絵本を返されたスコールとジタンが手を繋いでテントへと戻って行く。
その小さな姿が宛てがわれたテントの中へと消えて行くのを見届けると、二人はようやく深い息をついた。
「それで、いつまでその姿のままでいる気だ?」
「だ、だから、戻れないんだって…」
膝に抱き上げている体勢そのままに、ジタンはレオンの服をぎゅっと掴んだ。
トランスは、興奮状態になると当人の意思にかかわらずその身を変化させてしまう。つまりジタンは興奮状態にあるという事だが、何故そうなのか全く心当たりがない。
本格的に焦り出したジタンに対し、レオンは冷静だ。落ち着かない身体を抱きしめ、首元から僅かに覗く銀色の体毛に鼻先を埋める。敏感な部分の毛を逆撫でられ、ジタンが僅かに声をあげた。
「戻れないなら、その姿のままでもかまわない」
「……それ、さっきのアドリブ…」
「…本心だ。その場凌ぎであんな言葉が出るほど俺は器用ではないと、お前がよく知ってるだろう」
レオンの言葉に、ジタンはふにゃっと泣きそうな表情になる。そして首に腕を回し、身体を密着させてきた。
ジタン自身がこの異形の姿を好んでいない事をレオンは知っている。ゆえに演技とはいえ『醜い野獣』としてこの姿を晒した事に多少の憤りを感じていた。
「お前がお前である限り、俺の……親友である事に変わりはない。こんな事くらいで離すと思うな」
「…わかってる」
鼻を啜ったジタンが、マントの中に隠していた尻尾をレオンの腕に巻き付ける。こうやって無防備にこんな姿を晒すようになるまで、どれだけの月日を要したことか。

ジタンのトランスが解けたのは、それからすぐの事だった。





「ちょっと、奥さん…」
明くる日、げっそりと疲れた様子でジタンの元へ這ってきたのはバッツだった。
「なんだよ。あの本をちび達にあげたのお前じゃん」
「そうだけどさ、永遠に悪役で突き合わせられる俺の身にもなってくれよ!」
二人の子供達は昨日聞いた物語に夢中になり、早速『ごっこ遊び』をしていた。
特に二人がお気に入りなのは、悪役を倒し、美女が野獣に愛を告げるシーンで、その場面ばかり繰り返し再現している。バッツは野獣役のジタンに何度も倒され、姫役のスコールとのラブシーンを何度も見せつけられるという苦行を強いられていた。何故10歳以上も年の離れた子供にあてられなければならないのか。
「そんな事言ってやるなよ。あいつらにとってお前は特別なんだからさ」
「俺が?」
「(精神年齢が)年の近い友達って貴重だろ?」
「…………ヒドイ」
ジタンの言いざまにバッツがしくしくと泣き出すが、それで許してくれる一家ではない。遠くからバッツを呼ぶ子供達の声が聞こえ、大きなお友達は泣きながら二人の元へと歩いていった。

遠くではバッツが幾度目かの敗北を期し、スコールがピンク色の獣の姿をしたジタンにキスをしている。
正しい結末を教えられたジタンは、そのキスで元の姿へと戻っていった。
トランスは身体にかかる負荷が大きい。適当な所でやめさせなければと思う一方、昨夜は何故同じように元に戻れなくなったのかとジタンは首をかしげる。
それがレオンの発した、たった一つの言葉が原因だったのだと、気付く事はなかった。