毛繕い


尻尾が痒い、とジタンに訴えてきたのは小さいジタンだった。
その小さな尻尾に引っかかっている毛を見て、もうそんな時期なのかと思った。換毛期だ。

涼しい木陰に腰を落ち着け、尻尾の毛の流れに沿ってブラシを滑らせると、気持ちが良いのか小さなジタンがくるくると喉を鳴らす。ブラシにはすぐに柔らかな毛玉ができ、風に吹かれてころころと転がって行った。
「……なんでおれには、しっぽがあるの?」
唐突にかけられた言葉に、生えたばかりの柔らかい毛を楽しんでいた手がぴたりと止まる。
「そりゃ、ちびが俺の子だからだろ?」
「……う、ん??」
その返答に小さなジタンが首をかしげる。自分がジタンと血の繋がりのある親子ではないと分かっている為、それは答えにはなっていないのだ。
それでも「まあいいや」と、優しい養い親の指にうっとりと喉を鳴らす。ジタンは己の動揺が悟られなかった事に、密かに安堵した。

いつかは自分が「人とは違う」という現実を知る事にはるとは分かってはいるけれど、それは今でなくても良い。
それがただの現実逃避だとは、気付かないフリをした。


「スコールには、しっぽないのに」
ぱたぱたと足を動かす子に、ジタンは冷や汗をかく。

変?おかしい?

どんな言葉が続くのか、怖かった。
しかし。

「おれだけ、ずるいかも…」
続いたのは、そんな言葉だった。

「……何が?」
ジタンが恐る恐る尋ねると、小さいジタンが照れくさそうに笑う。
「だって、おれだけジタンとおそろいなんだもん。スコールがやきもちやいちゃう」
「は…?」
呆気にとられるジタンに、背を向けている小さなジタンは気付かない。手の中の小さな尻尾がもじもじと揺れる。
「スコール、ジタンのしっぽにくるんってされるの好きだって言ってたよ。でもおれはおんなじしっぽ、あるもんね!」
「………」
好き?
上機嫌な子の尻尾にブラシを入れながら、今の言葉を反芻する。
スコールはジタンの尻尾が好きで、小さいジタンは同じ尻尾が嬉しい。
良くも悪くも子供の言葉には偽りがない。それが本心からくる言葉なのだと思うと、ジタンの燕尾から覗く尻尾が、忙しなく揺れた。


「ほら、もういいぞ」
ブラッシングが終わった事を告げると、小さいジタンがぴょんとその場に飛び起きる。
冬の毛が抜け、つやつやになった尻尾を確認すると、嬉しそうに走り去っていった。きっといつもの様にスコールの所へと飛んで行ったのだろう。
ジタンはブラシに残った毛を除きながら、己の尻尾を前へと移動させた。毛繕いが未だのそれは、先程の子の尻尾の様に毛羽立っている。
子供達が好きだと言ってくれた尻尾。
抜け毛による痒みを感じ、手に持っているブラシを入れようとした。が、それは既の所で止まる。

ジタンは脱いでいたマントを手に立ち上がり、その場を立ち去った。




どんな風の吹き回しなのかと、手に収まる尻尾の体温を感じながらレオンは思った。
尻尾の毛繕いをして欲しいとジタンがやって来たのは先程の事。いつもは「毛がつくから」と換毛期には逃げ回っているというのに、珍しく自分からブラシを持って求めてきたのだ。
捕まえる手間がないのは良い事だが、忙しなく動く尻尾と、無言のジタン。何かあったというのは一目瞭然だった。
「さっき、スコールがブラッシングの仕方を教えて欲しいと、こっちに来たぞ」
何か、言葉を導き出すきっかけになればと、レオンが口を開く。
それに対し、ジタンは「ああ」と苦笑した。
「そろそろちびの毛繕い役を譲ってやんないと、拗ねられそうだな」
まだ力加減が上手くできないという理由で、スコールは弟の毛繕いを許されていない。養い親に繕われる度に、側で眉をハの字にして眺めている他なかった。
小さなジタンの面倒は自分が見たいと、過保護すぎる様に感じるが、それだけあのジタンが愛されているという事なのだろう。
きっと二人にとって、種族の違いなど些細な問題にもなっていない。

「…お前にこうしてもらうようになって、かなり経つよな」
スコールの兄バカぶりを笑っていたジタンが、唐突に話題を変える。
そうだな、とレオンはその時の事を反芻した。


それはまだ10代の頃だったと記憶にある。レオンが初めてそれを見たのは。
ジタンとレオンが近くにいた仲間達と合流し、少しの間行動を共にしていた時だ。他愛のない会話をする仲間達からは見えない離れた場所で、ジタンは毛繕いをしていた。
季節は初夏。換毛期なのだろう。毛が付かない様に仲間に気を使ってのことだと放っておこうと思った。
しかしジタンの毛繕いの仕方に、立ち去ろうとする足が止まる。

まるで親の敵でも見るかのような目で尻尾を凝視し、祖末なブラシで手荒に繕っていた。あれでは生え変わった毛も抜けてしまうのではないかと思うほどに。

自分の身体を隠す様にマントを着ているジタンに思いを馳せ、見て見ぬフリをするほど自分とジタンは軽薄な仲ではない。レオンは足を踏み出し、ジタンの手からブラシを取り上げた。
驚くジタンをよそに、その場にどかりと座り、他にブラシはないのかと尋ねる。
無いと返され、仕方なくその時はそのブラシで毛繕いをした。
「汚れるから」とか「そんな事しなくて良い」とか言われたが無視し、自分の身体を傷付ける様なやり方を咎めると、ジタンは大人しくなった。
自分の親友を傷つけるのは、それが親友自身でも許さない。それが伝わったかわからないが、次からは新しいブラシに変わり、大人しく毛繕いをされる様になった。

抜けた毛が付くと、最初に遠慮されはするが。


「お前、もう俺より毛繕い上手いんじゃねえの?」
くるくる喉を慣らし始めたジタンに、レオンが「そうかもな」と笑う。
先程ジタンが子にしていた様に、優しい手つきで丁寧に毛繕われる。地肌を傷つけない様に優しくブラシが通る度に、この尻尾は親友に大事にされているのだと感じる。
「ちび達も、この尻尾が…好きだって…」
愛しい子供達と親友に愛されている、尻尾。

「ちょっと、自分の尻尾が好きになった…かも」
そう言うとジタンは膝に置いた腕に顔を埋めてしまったが、レオンの腕に巻き付く尻尾が照れているだけだと雄弁に語る。
巻き付いた尻尾はそのままに毛繕いを続けるレオンが「それは手強いな」と微笑みながら呟く。
こうして長年尻尾に愛情を注いでいるというのに、まだ「ちょっと」だと言うのだから。