怪盗Z 5 (軍人さんと役者さん)


日が西に傾いていく毎に街の喧騒が高まっていく。
浴衣や甚平などの異国の服はこの国でもすっかり定着していた。日常的に身に付ける事は少ないものの、今日のような『夏の特別な日』には浴衣、というのが一般的となっている。
そんな浴衣姿のカップルや家族連れが広場や河川敷へと向かって行く中、ジタンはその流れに逆らう様に目的の場所へと足を進めていた。


何度も訪れているこの施設の入口を警備する軍人とはすでに顔見知りになっている。その軍人に簡単に挨拶をした後、ジタンは荷物を抱え直しながらその場に留まった。
暫くして入口から出て来たのはレオンだ。ジタンに気付き駆け寄って行く。
「お疲れ」
「ああ…。来ていたのなら中で待っていればいいだろう。暑くなかったか」


その言葉に入口を警護していた軍人が吹き出しそうになった。
ジタンがこうやって軍事施設を訪れるようになった当初、役者として人気上昇中のジタンは他の軍人には歓迎されていたが、レオンは「ここは遊び場じゃない」と苦い顔をしていたというのに。
公私混同など想像もさせない堅物がここまで態度を軟化させるとは、原因は分かりきっているが気付いていないのは本人達だけだろう。


「平気だって。なあ、この後空いてるんなら花火見にいかね?」
「ああ、かまわない」
即答するレオンにジタンが嬉しそうな顔をする。

この日は二人の住んでいる街で大規模な花火大会が行われる日だった。国の中でも最大級で、他国から訪れる観光客も少なくはない。
軍の者が交通規制や警備を行ってはいるが、それはレオンの管轄外だ。
「やった!それで、これに着替えて行きたいんだけどさ」
「それならロッカールームで…」

そこまで言った所でレオンは自分達に注がれる視線に気がついた。
入口や二階の窓などから注がれる、好奇の眼差し。
レオンは相変わらずジタンのいる世界については疎かったが、街中に貼られている劇団のポスターや新聞に載っている彼の写真を目にする事が増える度に人気のある役者なのだと認識せざるを得ない。軍の内部でも流行ものが好きな女性の口からその名を聞く事もあった。

しかしそれはそれは女性だけではない。

ロッカールームは入口に鍵はなく、もちろん個室ではない。





「………俺の家に行くぞ」
「いいけど…?」
レオンはジタンの手を引いてその場から立ち去って行った。

舞台に立つ時を除いてあまり露出をしないジタンの肌や尻尾が他人の目に触れる事を思うと、何故だかどうしようもなく不愉快だった。





レオンの家に着いて早速ジタンが取り出したのは、二組の浴衣。どちらも渋く落ち着いた色合いの青と緑の布で誂えられている。
「わざわざ買ったのか?」
「いや、縫った」
「二着ともか!?」
驚くレオンをそっちのけでジタンは青い浴衣をレオンの身体に当てている。そして「サイズは大丈夫だな、さっすが俺」と一人で納得していた。
「舞台衣装作るより簡単だったから気にすんなよ。せっかくだから着たいじゃん」
そう言ってジタンは自分も着替えようと服を脱ぎ出した。あっという間に下着姿になったのを見て、やはり自宅に連れて来て正解だったとレオンはしみじみ思う。
「こんな物まで準備してるとはな。俺が行けなかったらどうするつもりだったんだ?」
「えー?まあ、その時はその時で…」
「お前が作った物を無駄にできるか」
強い口調で言われたジタンが、浴衣を羽織っただけの状態でレオンを見る。
「今度からは事前に言ってくれ。いくらでも予定は空ける」
「わ、わかった…」
レオンの予定が空いてればもうけもん。そんなノリで誘ったジタンにとっては、レオンの反応は意外だった。
触り心地を確かめる様にしながら青い浴衣を着るレオンを見て妙に気恥ずかしくなる。危うく浴衣の合わせを逆に着てしまう所だった。





「こっちこっち」
見た目にも涼しげな姿になったレオンとジタンは中央広場の裏側に来ていた。
花火を見るのなら広場の中央に行くべきだろう。ここでは時計台が邪魔をして花火が見えない。
そんなレオンの思惑をお見通しなジタンは時計台の上を指差した。

「あそこに行くんだよ」



鍵が壊れていたと嘘をついて、ジタンは時計台の整備用の階段を登っていった。実際の所はジタンがあらかじめ鍵を空けておいたのだが。
時計台の天辺に来るとそこは、花火の会場はもちろん街全体を見下ろせる絶景スポットだった。

「特等席だろ」
「…まったく」
レオンは「不法侵入じゃないのか」という言葉を飲み込んだ。





空に火の花が音を立てて咲く度に地上から歓声があがる。
そんな地上からは切り離された場所にいるレオンとジタンは、黙って寄り添い、花火に見入っていた。
半刻ほどそうしていた後、レオンがぽつりと呟いた。
「こうやって花火を見るのは、久しぶりだ」
「ふぅん?」
「今年に限って怪盗Zが予告状を出さなかったからだな」
「…へ、へえ?」

まるで祭りの日に狙って現れているような言い方に驚いたのはジタンのほうだった。
(そうだっけ…?)
全く意識はした事はなかったが、言われてみればこの花火を見るのはいつも怪盗の姿の時だったような気がする。



祭りの日の、街の浮かれた空気が苦手だった。
両親に両手を繋がれ楽しそうに笑う子供達。そんな子を見て幸せそうにしている夫婦。家族というものを知らない自分にはいつまでも慣れない光景で、気分を紛らわせるために盗みを働いていた気がする。
成功したり失敗したり成果はまちまちだったが、『仕事』帰りには必ずこの時計台の上で休憩をとっていた。
そんな時にいつもタイミング良く上がる、花火。
街中の人々を魅了するそれだが、一瞬で消えてしまう花火にジタンは全く興味がわかなかった。

隣にいる友人に、出会うまでは。



「怪盗も、花火の美しさに気付いて大好きな誰かと一緒に見てるんじゃねえの?…俺みたいに」
「────…」
いくら綺麗でも花火は盗めないよなと軽口を叩くジタンに、レオンが身を寄せる。
花火はクライマックスを迎え、色とりどりの花火が連続して上がっていた。ジタンは己の青緑色の瞳にそれを映して見入っていたが、肩に触れた手に気付いてレオンに視線を向ける。
「な…」
何、と問う前に唇が塞がれた。

その一瞬に、この日一番の大きな花火が上がった。



「…あ」
「……」
「あーーー!!!」
硬直していたジタンが間近にあったレオンの顔を押しのける。ぐっとくぐもった声があがった。
「お、お前が変なコトするから、花火見逃しちまったじゃねーか!」
「…す、すまない」
自分のした事に気付いたレオンが赤面する。それを見て増々顔に熱が籠ったジタンは隠す様に手を顔に当て、そっぽを向いた。

(び、びっくりした…)

戯れに自分からキスを仕掛けた事はある。レオンは意外にもそれに何の抵抗も見せず受け入れていた為、自分も親愛の表現のつもりで何度かそれをしていたのだが、レオンから仕掛けてきたのはこれが初めてだった。
それも、花火を見ながらという妙な雰囲気で。

「……っ!!!」
ジタンは顔を見られたくなくて、身体ごとレオンから顔を逸らした。別に花火を見逃した事に怒っているのではない。どう反応していいのか分からず混乱した結果の、苦し紛れの回避だった。

しかしレオンはジタンがその言葉のまま怒っているのだと思ったらしい。珍しく戸惑ったような声色でジタンの機嫌を窺う。
「悪かった…」
「…花火は年に一回しかないんだぞ」
「そうだな…。だから」
レオンは背中を向けているジタンの背後から抱き寄せ、懐に寄りかからせる様に抱きしめた。
「…来年は気をつける」
「来年……?」
「ああ」
その言葉にジタンは少しだけレオンに顔を向けると、身体に入れていた力を抜いた。
来年も一緒に見るものだと当たり前の用に言う友人に、口元が緩みそうになるのを必死に抑える。
「…わかった」
力の抜けた身体と許しの言葉に、レオンが安堵の息を漏らした。その息が耳に当たってくすぐったい。


地上では花火を堪能した街人達が帰路に着こうと移動をし始めていた。河川敷から来る人混みと合わさり、暫くの間は道が混雑するだろう。
だから自分達は人が減るまで待ってから帰ろうとそんな理由をつけて、ジタンはレオンに背中を預けたまま真っ暗になった空を見上げた。