怪盗Z 7 (軍人さんと役者さん)


廃墟と化した家々の瓦礫に身を潜め、周囲の様子を窺う。先に其処に居た金髪の戦友と肩がぶつかり、レオンは右腕の痛みを思い出した。
常人ならばその痛みに、手にしている物を取り落としてしまう事だろう。
しかしレオンはその愛剣を力強く握って離さない。戦地でここまでの重傷を負った経験はこれまで無かったが、日頃の訓練の賜物なのだろうとぼんやりと思った。



或る村がモンスターの群れに襲われた。
正確には『通り道』になってしまった。モンスター達にとっては道を阻む障害物を破壊したに過ぎない。村の警備隊だけでは太刀打ちできず、近隣の国の軍隊に救援を要請してきたのだ。
その中に、レオンが所属している軍があった。

レオン達が村に到着した頃には村の半分以上が瓦礫と化しており、生存者を救助するので精一杯だった。その間にもモンスターは邪魔な家々を破壊し、進んでいく。村は不運だったとしか言い様がない。

攻撃を仕掛けてくるモンスターと戦いながら生存者を探す。昼だった事が幸いしてか人命被害は少なく、次々と村の住人は軍隊に保護されていった。村は壊滅状態だが、命には代えられないだろう。

軍の一隊が村を廻り、生存者の最終確認を行う。レオンはその任務に当たっていた。





「生きてるか」
「…なんとかな」
先客は同期のクラウドだった。いつもの自己主張の激しい髪は乱れ、高さが無くなっている。身を隠さなければならない今の状況では、不幸中の幸いかもしれないが。
「もう残っている者は居なさそうだ。あとは撤退するだけだが…」
モンスターのせん滅の命令は出ていない。数が多過ぎるのだ。
村人の救出が最優先。それが完了した後に撤退。それが今回の任務だった。
「撤退以前に、隊に合流できるかが問題だな…」
現状に、クラウドが溜め息をつく。

身を隠す瓦礫の向こうには、まだ残るモンスターの群れ。軍はその向こうに居る。
応援も期待できず、モンスター達も直ぐにいなくなる様子もない。
そして此処には怪我人が一人と、疲労困憊で座り込んでいる者が一人。



レオン達の居る国は比較的平和だが、そこから一歩出れば命の危険に晒される要因などごろごろと転がっている。そんな現実を突きつけられた若い軍人は、現実から目を逸らすように空を見上げた。地上での血腥さからは程遠い、青い空だった。



「風呂に入りたい」とクラウドがぼやく。
レオンも瓦礫に背中を預けると、「腹が空いた」と心底疲れたように呟いた。
「この状況で腹が空くなら、心配はないな」
「だといいがな。…早く、あいつの飯を食いたい」
レオンは目を閉じ、瞼の裏に長く柔らかな金髪を思い浮かべる。

急な招集だった為、何の連絡も入れることができなかった。せめて帰還後の食事の約束を取り付けていれば、こんなヘマもしなかったかもしれない。
「生きて帰れたら───なんてお約束のフラグに俺を巻き込むなよ。こんな所で魔物の餌なんてごめんだ」
「生憎、俺もそんなつもりはない。…ああ、腹が減って仕方がないから早く帰るか」
「そうだな。俺もこんな埃臭い所にいつまでも居るつもりはない」

そう言うと二人は口に薄らと笑みを浮かべ、愛剣を手に立ち上がる。
それに気付いたモンスター達は咆哮を上げ、煩い足音を立てて突進してきた。





この国の国民が平穏な日常を送れるのは、優秀な国軍の努力の賜物だ。
近隣に生息するモンスターの討伐。国交の政治的な配慮。
そのお陰で今の国の平和がある。レオンと交流を持つようになったジタンはそう感じていた。

ここ数日、ジタンはレオンと連絡が取れていない。
こんな時は、急な───そして危険な任務に就いた時だと知る程には、二人の関係は浅くはないものになっていた。



「おい、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
「───!?」
稽古場で台本にペンを入れていたジタンが入口の怒声に驚き、顔を上げる。
「それにその怪我…。おい誰か救護を呼べ!」
ざわつく廊下に、壁に何かをぶつけたような音が徐々にジタンの居る部屋に向かってくる。足がもつれて身体をぶつけてしまったような、音。
何事かとジタンが部屋から出ると大きな人影とぶつかった。
場にそぐわぬ、埃っぽい髪と服。しかしそれはよく知った者で。
「…レオン!?」
所々に血が滲み、不自然に下がっている右手。
突然現れた友人のあまりの風貌に、ジタンは青ざめ言葉を失う。
レオンは視線を上げジタンの姿を確認すると、僅かに微笑んだ。
「…腹が空いた。何か作ってくれ」
「え……」
突拍子も無い言葉にジタンは呆気にとられる。そしてレオンは伝えた事に満足したのか、その場で気を失ってしまった。
「レオン!」
崩れる身体をジタンが慌てて抱きとめる。背後に壁がなければ、そのまま一緒に倒れ込んでしまっただろう。
「レオン…、レオン!」
ジタンはレオンと壁の間に挟まれ身動きがとれないまま、必死にレオンに呼びかける。

騒然とする周囲。

その空気を動かしたのは、ジタンの所属する劇団の団長だった。
「ジタン、今日はもう上がっていいから、そいつを病院に連れて行ってやんな」
「団長…」
「前にお前の警護をしてた奴だろ?こんな姿になってまでお前に会いに来たんだ。目ぇ覚めた時に見える場所に居てやれ」
「…わかった」

許可が下りなくても、ジタンは行ってしまうのだろうが。
団長には、ジタンのほうがレオンを離したがらないように見えたのだ。





処置の為に病室から出されたジタンは、入口近くの廊下を行ったり来たりと歩き回っていた。
レオンの怪我は右腕を骨折する重傷だったものの、命に関わるものではなかった。
ジタンはそれに安堵したが、意識の戻らないレオンに不安が拭いきれないでいる。

「ああ、嫁さん。来てたのか」
「よ、よめ…?」
ジタンに声をかけたのはクラウドだった。服の裾から見え隠れする包帯やガーゼに、彼もまたレオンと同じ戦地に居た事が窺える。
処置にはまだ時間がかかるだろうと、ジタンはクラウドに促され、廊下の椅子に腰を下ろした。怪我人に気を使わせてしまうほど落ち着きがなかったのかと、ジタンは己を恥じる。
「驚いたか?」
クラウドが言うのはレオンの事だろう。ジタンは黙って頷いた。
「これが俺達の『仕事』だ。あいつみたいな怪我も珍しくはない」
「…そうだな。頭では分かっていたつもりだったんだけど」
ジタンは俯き、自分の手を握りしめる。握った拳が僅かに震えていた。
「だけど、あいつを選ぶという事はそういう事だ。覚悟ができないなら止めておいたほうがいい」
「───……」


常に死と隣り合わせの戦士達。


ジタンはレオンを待つ事しか出来ない。
待っていても、帰って来ない日がいつか訪れるかもしれないのだ。



地面を見つめるジタンの肩に手を乗せ、クラウドが立ち上がる。
「俺はもう帰って寝る…。後はよろしく、嫁さん」
「…ああ。何を食べたいか聞きそびれたままだから作れないって、文句言ってやんねーと」
ジタンの言葉にクラウドは笑みを零し、片手を上げて立ち去る。

病室で処置をしていた医者に入室を許されたのは、その直後だった。





回復魔法で腕は回復したが、肉体の疲労と精神的ダメージは魔法では治すことはできない。
一晩休めば意識は回復するだろうと医師は言った。しかし直ぐに腕の感覚が戻るわけではなく、数日は動かせないだろうとも。
レオンには家族が居ない。
その間は自分が面倒を見ると医師に約束し、ジタンは病室に残った。

朝を迎え目覚めた時に、最初に見るのが自分であるように。



部屋の明かりを消すと、月明かりが室内を照らす。
ジタンは規則正しい呼吸を繰り返すレオンの前髪を除けてやり、備え付けの椅子に座る。

レオンを通じて、クラウドや軍の関係者との交流はできた。しかし、彼らも命の危険を伴う生業だという事に未だに現実味を帯びない。

レオンだけ。

傷だらけで倒れたレオンを見て、喪失の恐怖に足元から崩れそうな感覚を覚えた。
きっとこの恐怖はレオンと共にある限りついてまわるものなのだろう。

それを抱えて生きる覚悟があるのか。



ジタンはシーツの中にある、怪我をしていない方の腕に触れ、その体温を指先に覚え込ませる。





答えは、とうに決まっていた。