怪盗Z 8


1.


「あ」
「…あ」
ダイニングテーブルで食後のコーヒーを飲んでいる両親のあげた声に、リビングに居たスコールとジタンが視線を向ける。

二人はお互いのシフトとスケジュールの報告をしていた。その中にはスコールと小さなジタンのものも含まれている。
「全員、休みが重なっている日があるぞ」
「え?」
「本当!?」
レオンとジタンはもちろん、スコールは軍人見習いとして、ジタンは子役としてそれぞれ多忙な日々を送っている。特に子供達が働き始めてからは休みを合わせるのが難しくなり、まる一日家族全員が揃うということは月の中でも何日もなかった。
「しかも三日もあるぜ。…このチャンスを逃す手はないな」
ジタンは興奮ぎみにマガジンラックから雑誌を取り出す。何度も読み込まれているそれは、折り目だらけのくたびれた旅行雑誌だった。

「家族旅行だー!」
ジタンの言葉に子供達は目を輝かせた。
しかし一番喜んでいるのは両親のほうで、休みはまだ先だというのに買い出しの打ち合わせを始めた事にスコールとジタンは顔を見合わせて笑う。
「スコールと旅行できるの楽しみだなぁ」
そしてジタンが嬉しそうにそう呟くと、スコールは頬を赤くした。



旅行先に選ばれたのは、隣国の温泉地だった。
四人が暮らしている国とは建物も着ているものも大きく異なるこの国は、歩いているだけで色々なものに目を惹かれる。祭りでよく着られている浴衣はこの国から伝わったものだ。
「ここさ、レオンとは何回か来たことがあるんだ」
「ふーん?」
「まだ友人だった頃と、付き合いだした後にさ。思えばあの頃から───」
「…その話長い?また今度聞くね」
「ちびぃ〜〜」



四人が通されたのは、緑色の板が敷き詰められた部屋だった。『畳』を初めて見たスコールとジタンは幼子のようにはしゃいで優しい香りのする床へと転がる。
「今日は旅館でゆっくりして、観光は明日にしよう」
「じゃあゆっくり温泉に浸かろうぜ。この部屋には家族風呂もあるし、久しぶりに四人で背中を流せるな」
『一緒にお風呂』という言葉に、床ではしゃいでいたスコールとジタンの動きが止まる。そして「お風呂…」と呟きながら顔を合わせると、顔を赤くしながら同時に顔を逸らした。
昔はよく一緒にお風呂に入っていたものだが、十二、十三ともなると微妙な年頃となる。密かに想いを寄せ合う二人には些か刺激が強すぎるようだった。





「ねぇ、ジタン」
部屋の備え付けの浴衣の他に、好きな浴衣を貸してくれるサービスがあり、二人のジタンはその浴衣を選びにロビーへと訪れていた。
色とりどりの浴衣の中にピンクとグレーの浴衣を見つけた小さなジタンが、部屋で寛いでいるレオンとスコールの浴衣を選んでいたジタンへと耳打ちをする。
「…確かに面白そうだけど服もないし、旅館の人に迷惑をかけるのもなぁ」
「それなら大丈夫だよ」
そしてひそひそと話し合う内に、双方のジタンの口に笑みが宿る。


悪戯好きの二人が、ただのんびりと大人しくしているはずがなかった。



「あらぁ?」
四人の部屋へお茶を運んできた女将が、持っていた盆の上を見て首をかしげる。
「こんなもの、さっきはあったかしら」
急須と湯飲みの間に差し込まれていた、一枚のカード。見るとそのカードには尻尾のマークが印刷されている。見覚えのあるそれに、レオンはすぐさま中身に目を通した。


『このカードを受け取った直後に、部屋にある温泉まんじゅうを頂きに参ります。───怪盗Z』



「まんじゅうって…」
スコールの視線の先にはサービスとして置かれている温泉まんじゅうがある。無料で宿泊客に振る舞われる物なのだが、このまんじゅうを盗むと書いてあるのだ。



そして予告通り、二人の怪盗が現れた。
「怪盗Z、参上!」
「───…今日は非番だ」
浴衣姿にいつもの仮面を着けた出で立ちに、レオンはため息をつきながらそう呟く。
「スコール!なあ、これ似合う?」
浴衣の裾を翻しながら部屋の中へ飛び込んだピンク色の怪盗がスコールへと飛び付いた。その瞳の色と同じ赤い浴衣はピンク色の体毛と相まって身に付ける者を可愛らしく引き立たせている。
「か…………………、………わ、いい…」
「ホント!?嬉しい!」
呆然としながらスコールが呟いた言葉にピンクの尻尾を立てて怪盗が喜ぶ。
それにより捲り上がった浴衣により我に帰ったスコールが慌てて怪盗を押し退けた。
「なぁ、ここ家族風呂があるんだろ?俺、スコールと一緒に入りたいなぁ」
「な…!?」



今回のターゲットであるまんじゅうには目もくれずスコールに絡み付く怪盗───もといジタン。
『一緒に入りたい』は、おそらくはジタンの本音だろうと、もう一方の銀色の怪盗は思った。
スコールを思うゆえに臆病になってしまう小さなジタンは、こうして怪盗という別人としてスコールに本心をぶつけているのだ。

「こら、ちび!目的を忘れるなよ」
「はぁい」
銀色の怪盗に怒られ、ピンク色の怪盗は名残惜しそうにスコールから離れた。ようやく解放されたスコールが安堵の息をつく。
「じゃあ仕切り直して…、そのテーブルにあるまんじゅうを───」
「あらあら、そんなにうちのまんじゅうを気に入ってくださったのね。嬉しいわぁ」
「…は?」
緊張感を取り戻しつつあった場に、女性ののんびりとした声が響いた。部屋へ訪れていた女将の声だ。
「有名な怪盗さんに気に入ってもらえたなんて嬉しいわぁ。いくらでも持っていってくださいな」
そう言って怪盗に手渡された、大量のまんじゅう。
他の部屋への補充用に持っていたものだろう。両手一杯にまんじゅうを持たされた二人の怪盗は戸惑い、固まってしまった。
「えっと…、どうする?」
「女将が許しているんだ。盗んだことにはならないから、俺にはどうすることもできん。非番だしな」
「そ、そっか…。じゃあまんじゅうはもらったし、帰るよ」
「ああ、気を付けてな」

怪盗と軍人の会話とは到底思えないが、毒気を抜かれた四人はここで争っても仕方がないと判断した。

「じゃあな、スコール!今度は一緒にお風呂入ろうな!」
「だ、だれが入るか!」

窓枠に飛び乗った事により捲れた浴衣。
ピンク色の体毛に覆われた足の少ない素肌の部分である太ももが露になり、それをまともに見てしまったスコールは咄嗟に目と鼻を手で塞いだ。


この日、色々なものを盗まれてしまったのはスコールだけの様だった。










2.


満月の光に照らされた街は家の灯りがまばらで、街全体が深い眠りについている事が分かる。
その街を一望できる時計塔の上に、二人の怪盗が居た。
銀色の怪盗は一つの箱を大事そうに抱え、ピンク色の怪盗は銀色のキーホルダーを月に掲げて眺めている。青白い光がきらきらと反射し、怪盗の目を覆う仮面に光の影を落とした。



温泉旅行から数日。仕事に戻ったレオンに一通の予告状が届いた。
珍しく予告時間が夜なのは、二人のジタンが日中に舞台稽古に出ていた為だ。
レオンとスコールは今晩は軍施設に泊まり。そして翌日は稽古は休みとあって、小さなジタンは夜更かしを許されたのだった。



しかしこの日の『仕事』は思わぬ邪魔が入ってしまい、失敗に終わった。
その『邪魔』というのが、二人が手にしている箱とキーホルダーである。



予告の時間に現れた怪盗達。
その銀色の怪盗に『箱』を差し出したのは、レオンだった。
「お前が邪魔をしに来た家族旅行の土産だ」
「…は?」
「…盗みに入るほど、このまんじゅうが好きなんだろう?」
「───…」

そうじゃない。
そう銀色の怪盗が口を開きかけたが、レオンの顔を見て止めた。レオンはそういった冗談を言うタイプではない。本気で怪盗Zがまんじゅうを欲しがっていたと思っているのだ。
「…ご丁寧に、どうも」
妙に畏まりながら銀色の怪盗がその箱を受け取る。
それを見たピンク色の怪盗が「またおまんじゅう…」と呟いた。
これを家に持って帰るわけにはいかない。怪盗の二人でどうにかして食べるしかないのだ。



※前回の大量のまんじゅうは、近所の保育施設へ寄付されました。



まんじゅうに気をとられているピンク色の怪盗に、小さな紙袋が差し出された。
どこか不服そうな、恥ずかしそうな顔をしてそれを差し出して来たのはスコールだった。
「…え?」
「銀の怪盗Zにだけというのは、不公平だからな…」
「俺に?」
ピンク色の怪盗がその袋を受け取り開けてみると、中には銀色のキーホルダーが一つ入っていた。

ジタンには覚えがあった。
旅行のお土産を買っている時、キーホルダーのコーナーでスコールが難しそうな顔をしながら悩んでいた事があった。
軍の見習い仲間へのお土産だとばかり思っていたそれは、小さな怪盗見習いへの贈り物だったのだ。

長考し悩み抜いて買ったそれが自分の為だとわかり、ピンク色の怪盗の頬に赤みが差す。
「ありがとう…嬉しい!…ずっと大切にする」
「あ、ああ…」
嬉しさのあまり涙ぐんでキーホルダーをぎゅっと握るピンク色の怪盗に、スコールもつられて赤くなってしまう。そしてキーホルダーを渡した手が怪盗の小さな肩に触れそうになった所で、慌ててその手を引っ込めた。

「今日はまんじゅうに免じて帰るよ」
まんじゅうの箱を持った銀色の怪盗がレオン達の横をするりと通り抜け、窓の縁の上へと飛び乗る。ピンク色の怪盗もそれに続いた。
「うん、ターゲットなんかよりずっと価値のあるもの貰ったし。スコールばいばい、愛してる!」
「───っ!」
小さな怪盗の言葉に返す言葉もないまま、二つの黒いマントが月夜に消えていく。
「中に何か仕込まれているかなどと、疑いもしないんだな」
静かになった室内で、レオンがそう呟いた。

まんじゅうの中に薬でも仕込めば、あの怪盗達はあっさりとお縄になるだろう。
勿論レオンは何も仕込んではいない。銀色の怪盗はそんなレオンの生真面目さを熟知し、人として信頼を寄せているのだろう。それに対し、レオンは悪い気分にはならなかった。






引き上げる二人の軍人が見上げた時計台の上には二人の怪盗。死角にいる為、その姿にお互いが気付く事はない。



ひとときの休暇を終えた四人に、再び日常が戻ってきた。










3.


手に持ったキーホルダーを目の高さに掲げ、ゆらゆらと揺らして見る。
スコールの好きそうな銀色のキーホルダーだ。これを『怪盗Z』がスコールから贈られたのはつい先日のこと。
「ねえ、ジタン」
出勤するレオンとスコールを見送った後の朝のひととき。
朝食の片付けをしている養い親のジタンに、小さなジタンが声をかけた。
「んー?」
「これなんだけどさ…」
そうジタンが差し出したのは、先程まで眺めていたキーホルダーだった。養い親のジタンは一旦洗い物をする手を止め、小さなジタンに向き合う。
「怪盗の俺が貰ったものだから、『ジタン』は付けられないし、大切なものだからなくしたくないんだ」
「ああ、そういう事か」
小さなジタンにとって大事な大事な宝物であるキーホルダー。
それをスコール達にバレないように保管できないか。それが今のジタンの悩みであった。
「なら、良いものがあるぜ」
養い子の可愛い相談に、ジタンはエプロンで手を拭きながら自室へと向かう。そして部屋から持ち出して来たのは、小さな箱だった。
「え、これ?」
それはまだジタンが独身だった頃から持っていたからくり箱だった。複数の手順を踏まないと開かない仕掛けになっている為、開け方がわからず中には何も入っていないと言われていたものだ。
「開けられないってのは嘘なんだ。ほら」
カチカチと慣れた手付きで箱の仕掛けを解いていくジタン。
やがて中から現れたのは、緑色の硝子のペンダントだった。
「これがジタンの宝物?」
「そう。まだ『レオン』と『ジタン』が出会ってなかった頃にもらったペンダントなんだ」
「えっ!?」

あのレオンが『怪盗』にプレゼント?

とても想像がつかなくて、小さなジタンは困惑する。
そんな養い子に、片付けの後に一服しようと用意していたコーヒーを差し出しながらジタンはダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。





それはまだ、『レオン』と『ジタン』が出会っていない、ただの軍人と怪盗という関係だった頃。



お目当ての宝石を目の前にして現れた軍人の姿に、銀の怪盗は舌打ちをした。
ジタンは仕事場に頻繁に現れるようになったこの年若い軍人が苦手だった。ジタンの素早さに翻弄されるばかりの軍人達に対し、この男はやけに冷静だった。素早さで敵わない分、剣の一撃の重さで対抗する。力で来られると、ジタンは苦戦を強いられてしまうのだ。
「くっそ…!」
レオンの剣を受け止めたジタンは腕が痺れるのを感じた。獲物は目の前だというのに、宝石と怪盗の間にはレオンが立ちはだかり、その場を譲ろうとはしない。
ダンッという銃声の後、ジタンの足元の絨毯には黒い焦げ目ができた。レオンが剣と一体型の銃を発砲したのだ。

今回は分が悪い。諦める事も勇気だと皮肉にもジタンは目の前の男に教えられていた。意地を出して捕まってしまっては元も子もない。

「待て」

撤退の体勢に入った怪盗をレオンが呼び止めた。
ターゲットを守る事が出来れば良しとし、後を追う事をしないレオンに呼び止められ、ジタンは困惑し警戒する。
するとレオンはポケットから一つの小さな包みを取り出した。そして何も言わずそれを怪盗に投げ渡す。
「な、んだ?」
レオンが開けろと言わんばかりに顎をしゃくったのでジタンは仕方なく中身を確認する。



中には、緑色の硝子でできたペンダントが入っていた。



「先日の出張先で物売りに買わされたものだ。今日の所はそれで諦めろ」
「…っ!ただのガラスじゃねーか!」
こんな安い硝子と宝石を一緒にされてはたまらない。ジタンはペンダントを投げ捨てようと思ったが、レオンの一言によってその手は止められてしまう。



「お前の瞳と同じ緑色だ」





「……」
ジタンは時計塔の上に寝そべり、緑色のペンダントを目の前で揺らして見る。月の光に反射し光を放つが、宝石のそれと比べたら全く話にならないものだった。

瞳の色と同じ。

青緑色のジタンの瞳は、トランスによって青みが抜け、完全な緑となる。
レオンは仮面の向こうの瞳の色を覚えていて、つい緑色を選んでしまったのだろう。

遠く離れた任務の地で、銀色の怪盗を想いながら。



「…へへっ」
ジタンはその安いペンダントを握り込むと、笑いながらその拳を額に押し当てた。
自分の為に選ばれたただの硝子が、宝石よりも価値のあるものに見えてしまったからだ。





「───でも、こんなものを着けていたら俺が怪盗だって言ってるようなものだろ?だからこうして隠しているんだ」
「へぇ…」
それは今の小さなジタンと同じような状況。
贈り物が嬉しくて肌身離さず持っていたいのに、それができないジレンマ。
養い親もかつてその想いを味わってきたという事だ。
「このキーホルダーも入れて良い?」
「ああもちろん。開け方を教えるから、二人がいない時に見るといいさ」
「うん!」



ジタンは大切なキーホルダーをペンダントの入った小箱の中へ、そっと入れた。
そして閉じられた箱は、再度両親の部屋へと仕舞われる。



二人の怪盗を悩ませる罪作りな軍人二人は、怪盗の宝がこの家に眠っている事に気付く事はない。