O・MO・CHI

なにかと物入りな年の瀬。菊は両手いっぱいに抱え込んだ荷物を床におろし、痛みそうな腰を叩いた。
正月の飾り物、おせち料理の材料、そして大量の切り餅。
切り餅は最近餅つきをしたというご近所さんから頂いたものだ。菊は年寄り故に自力で餅つきができない為、有り難くそれを受け取った。これでお雑煮にも困らない。おせちとお雑煮。この二つがなければ正月の楽しみも半減するというものだ。
「しかし…、これは少々多すぎですね」
新聞に包まれた餅は、一人暮らしをする者には多すぎる量だった。元旦に訊ねてくる来客に振る舞おうにも、余らせてカビを育成してしまうだろう。
「…上司にお裾分けしますか」
自分の上司であれば多すぎても分ける宛はあるだろう。菊はそう思い、自宅の分と上司へ渡す分とで袋を分ける作業にとりかかった。素人が切り分けた餅は形がまばらである。菊は無意識に形の良いものを上司分へとふりわけ、自分の分はいびつな物ばかりが残った。
その中でも1つ、振り分けに困るものがあった。
綺麗に四角に切られているお餅。しかしそれは完全なるサイコロ形──立方体をしていた。これは些か食べ辛いのではないか。
悩んだ末に自宅用の袋に入れようとした。しかしそれは手からすべり、床に落ちてしまう。
「ああ、いけない。食べ物を祖末にしては」
菊は慌てて転がる餅を追いかけた。ころころと転がる餅は、幸いにも土間に落ちる前にぴたりを回転を止める。やれやれとその餅を拾おうとしたが、その指は餅に触れる直前で止まった。
「……!」
その餅には顔があった。そんな馬鹿なと思われるであろうが、菊にはそれがはっきりと見える。

四角い餅に、凛々しい眉毛。厚い唇。感情を表に出さない瞳。一見強面だが、穏やかな心の持ち主ではないかと感じさせる雰囲気。
その全てに菊は戸惑い、一度伸ばした手を引っ込ませた。

「ええと…」
礼儀を重んじる菊が挨拶をすることすら忘れ言葉に困っていると、その餅はぱっと旗のような物を両手で掲げた。そう見えただけで実際には手などないのだが。
黒、赤、黄のストライプ柄の国旗。
「ドイツ…。ドイツ餅さんというのですか?」
菊がそう訊ねると餅は頷いた。実際には微動だにしていないのだが菊にはそう見えたのだ。
そして『Ja』という返事が、聞こえた気がした。



その日から、菊と餅の共同生活が始まった。
正月も過ぎ、とうに餅は食べ終わっている。しかし菊はその無骨な餅だけは食べようとはしなかった。
顔があるから命を奪う様で食べ辛いとか、生活を共にして情がわいたとか、様々な理由をつけようとしたが、どれもしっくりとこない。
白い肌とは不釣り合いな凛々しい顔を見つめる度に、早くなる鼓動。不整脈ではないかと医師にかかった事もあるが、その様な診断は出なかった。塩分を控えろと通達された程度だ。

その不調の意味に気付かないフリをするにも限界があった。
ある日、菊は料理中に菜箸を床に落としてしまった。
それを拾おうと伸ばした手と、同じく拾おうとした餅の身体が触れ合った。
「あっ…」
二人が箸からぱっと離れるのも同時のこと。菊は火照る自分の顔に、この気持ちが何なのか認めざるをえなかった。
この歳になって、遅すぎる春なんて。
自覚と共に身を襲う絶望感に打ちひしがれていると、白いお餅が視界に入る。その白い肌が今はピンク色に染まっていた。反対側を向いているので表情は見えないが、この反応はもしかして。
「…ドイツ餅さん」
呼ばれ、ふり返るお餅。顔のある面は他の面に比べまっ赤になっていた。もじもじとする様子に相手も自分と同じ気持ちであると確信した菊は、日本男児の大和魂!と自分を奮い立たせ、一世一代の告白をした。

「わ、わたしは…、あなたの餅の角になら、頭をぶつけて死んでしまっても本望です…っ」

やがて餅がすっと取り出した旗。
そこにはピンク色のハートマークが描かれていた。こうして二人は結ばれたのだ。



そして過ごした蜜月の日々。
カビと戦った夏。同胞を焼かれている様で気が気ではなかった二度目の正月。
四角い餅が菊の素肌をころころと転がり、甘い声を上げたのも一度や二度ではなかった。

このお餅と共になら、幸せな老後を過ごせる。そう思っていた。
あの日までは。




かつてない飢饉が日本国内を襲った。立て続けに起きた干ばつと水害。それは収穫時期の穀物を壊滅に陥れた。海上には巨大なハリケーンが発生し、食材の輸入の見込みが立たず、国民は飢餓に喘いでいた。
国民が飢餓に陥れば、それは菊にすべてふりかかる。家の中にある、口に入れられそうな物は全て食べた。ここ数日、水だけで過ごしてきた菊は起き上がる気力もわかず、床に臥せっていた。

ぼんやりとした視界に白いものが見える。餅が心配そうに菊を看病していた。しかし空腹からくるものなので、いくら額に濡れた手ぬぐいを乗せようとも回復するわけではない。
「ああ…大丈夫ですよ。ご心配をおかけして誠に申し訳ありません…」
力なく笑う菊に、餅は1つの決心をする。

部屋を暖める火鉢。

餅はそれに向かって突進していった。それに気付いた菊が、上手く動かない身体を懸命に起き上げ、悲痛な叫びを上げる。

餅は火鉢に身を投じ、自らの生命をもって愛する人を救ったのだ。




やがて飢饉もなくなり、穏やかな日々が戻った。
しかし、巡る四季を見ても菊の心は晴れなかった。もう数えきれない程の年月を生きてきたが、餅と過ごした僅かな時間の思い出だけが菊の心を占め、傷を残した。


心の傷が癒えることもないまま、菊は上司に外交につき合わされていた。会わせたいドイツ人がいるのだという。
(ドイツ…ですか)
上司は餅との関係を知らない。何か意図があるわけではないであろうが、菊にはとても気の進まない事だった。


「あなたは……」
気乗りしないまま着いた先で出会った青年。
緑色の軍服に身を包み、金色の髪をきっちりと固め整えている所に生真面目さを感じる。
そして、無骨な武人を思わせる瞳に凛々しく太い眉…。彼は自分が恋いこがれた餅の生き写しかと思うほどにそっくりだったのだ。
「…俺の顔に何か?」
「あ、いえ…」
菊は不躾な視線を贈ってしまったことを詫び、深々と頭を下げた。
「大変な失礼をしてしまい申し訳ありません。私は日本の、本田菊と申します」
「俺はルートヴィッヒという。…よろしく頼む」
手を差し出され、菊は顔を上げる。菊の態度が面白かったのか口元に笑みを浮かべる青年に、菊の心の何かが溶けてくのを感じた。
「…よろしくお願いします」

かつて愛した餅に生かされた命。その命をもって、自分はこの餅の生まれ変わりのような青年と共に歩んでいくのだろう。
菊は差し出された大きな手に自分の手を重ね、強く握り返した。