ツイログ6



・膝枕



リビングに、黒く大きな猫が落ちている。
帰宅して早々に床に倒れこんだスコールの鼻に、美味しそうな食事の香りが漂ってくる。冷める前に食べなければと思いつつも、今日は仕事の疲労が色濃く、指先を動かすのも億劫だった。
「なんか疲れてるな、どうした?」
キッチンから出てきてそう声をかけてきたのはジタンだ。それに対しスコールが顔を上げられずにいたが、反応が無い事を気にする様子もなく、ジタンはスコールの頭の横に腰を下ろした。
己のものよりも小ぶりな手がスコールの髪を撫でる。幼子をあやすような手つきだが、不快感どころか心地よさすら感じる。ジタンはうつぶせで倒れているスコールの頭や顔を撫でながら、そっと頭を持ち上げてきた。されるがままに頭を上げて僅かに体を横に向けると、視界にジタンの服が映る。頭を膝の上に持ち上げられたのだ。
「今日は何をしてきたんだ〜?」
ジタンの膝から伝わる体温に目を細めていると、再びスコールの髪を撫で始めたジタンがそう軽い口調で尋ねてきた。
(今日は……、そうだ)
ぼんやりとしながら、朝に家を出た後のことを思い返す。家を出てすぐに、迷子の子どもに遭遇したのだ。
「迷子を見つけて、一緒に家族を探したな……。そうしていたら時間がなくなって、走る羽目になった」
家族と朝の散歩をしている間にはぐれたのか、「お姉ちゃん」と呼びながら泣く子どもを放っておくわけにはいかなかった。市民を保護するのは仕事の一環であるので、それが原因で遅刻をしても咎められる事はないが、遅刻はしないに越したことはない。おかげで朝から大分体力を奪われていたのだ。
「へえ、その子にとってスコールはヒーローだな」
「……そうだと、いいな」
ジタンにそう言われると、本当にヒーローになれた気分になるので不思議なものだ。その後も何でもない、いつも通りの仕事の内容を話しては、ひとつひとつにジタンが相槌を打つ。そうして大げさにスコールを褒めて、髪を撫でるのだ。撫でられる毎にその指先が疲労感を吸い取ってくれている様な感覚に陥り、スコールは重かった顔を上げてジタンを見上げる。そして青緑色の瞳を視線がかちあうと、ジタンは穏やかな笑みを浮かべた。とどめとばかりに尻尾で頬を撫でられれば、あれだけ全身に漂っていた倦怠感はすっかりと抜け落ちていた。
「さて、そんな偉いスコールは、もう飯は食べられるかい?」
「……食べる」
このまま膝の上で寝てしまいたい欲求を堪えつつ、スコールは起き上がった。スコールの帰宅に合わせて作られたであろう温かな料理を冷ませてしまうのも惜しいのだ。
テーブルへと向かおうとすると、一歩先にいるジタンに手をとられた。たった数歩の距離を手を引かれて歩くのはさすがに気恥ずかしさを覚えるが、悪い気もせず、そのまま後を付いて行く。
繋がれた手を見て、今日のジタンの様子ならいつもより多めに尻尾を触らせてもらえるかもしれないなと思いながら。





 ・花の贈り物



『感謝の気持ちを花束に』

小さな店の軒先に、注意して見ないと分からないほどのささやかな大きさのポップに書かれていた、ありきたりな売り文句。
ポップが乗っていたのは展示用に作られたのであろう、ブーケの上だ。スコールが足を止めて入口の窓越しに店の中を見れば色彩鮮やかな花がショーケースの中に溢れている。
(花屋なんてあったのか)
自宅への帰路にこんな店があることなど知らなかった。今まで気に留めていなかっただけだとも言えるだろう。よほど「花を買おう」という気持ちがない限りはスコールにとって縁の無い店なのだ。それなのに今日に限って足が止まったのは、最初に目に入ったポップの文言がきっかけになったからである。
「感謝、か……」
感謝や好意を伝えたい相手はただ一人いる。気持ちを言葉にする事が苦手な自分には確かに贈り物はぴったりではないだろうか。そう思っていると、店の前から動かないスコールに気付いた店員がドアを開けて声をかけてきた。
「贈り物ですか?」
店員の言葉に自分の心を読まれたのかと焦るが、男が一人で花を眺めていたらそう解釈されるのは当然だと思い直す。促されるまま入った店内はこじんまりとしていて、花の匂いでむせ返りそうだ。しかし不思議と不快感はない。
「プレゼントにはこちらが人気ですよ」
そう言って店員がガラスケースの扉を開くと、中には薔薇が敷き詰められていた。花弁は瑞々しく形も整ったそれらは素人目にもとても美しい。
しかし赤や紫の薔薇を見ると、どうにもジタンの兄の顔が思い浮かんできてしまう。スコールの反応が芳しくない事を察した店員は、他の色もございますよとにこやかな笑顔で他の薔薇を花桶から取り出した。

なるほど、薔薇といえば赤がまず頭に浮かぶが、色の種類は幅広い。
ピンク、白、オレンジ、―――緑。

「これで花束を作って欲しい」
緑はジタンの瞳の色だ。迷わずそれに決めると、店員は手際良く花束を誂え始める。緑の薔薇の中に白の小ぶりな花を差し色に、葉物を加えて飾り付けていく。グリーンで統一されたそれは薔薇とは思えないほどに落ち着きのある風合いに仕上がったが、別の言い方をすれば少し地味なように感じた。
その事を店員に伝えると少し考え込んで「お贈りされる方をイメージされるものはございますか?」と聞き返され、今度はスコールが考え込む。
ジタンの瞳の緑、柔らかで触り心地の良い金の髪、髪と揃いのしなやかな尻尾、周囲の空気を明るくさせる快活な性格。
ぽつりぽつりと頭に浮かぶ言葉を伝えると、さすが接客を生業としているというべきか店員はすぐにイメージを掴んだようで、ケースの中から他の色の薔薇を取り出した。
そして緑の花束に加えられた、黄色とオレンジの薔薇。それらが差し込まれた瞬間、花は一気に華やいだ印象に変化する。
(あいつが笑った時みたいだな)
スコールはその花束を一目で気に入り、ラッピングをするように頼んだ。
リボンの色を尋ねられ、青を選択する。ビタミンカラーで纏められた花にはやや浮くが、スコールの瞳の色を見た店員はにこやかな顔のまま青いリボンで可愛らしく持ち手を飾り立てた。

店を出てジタンの待つ家へと向かう途中、すれ違う人―――特に女性はつい足を止め、スコールを振り返ってしまう。スコールはそんな周囲の反応に気付かないまま、足早に帰路に着いた。



「おかえり……って、どうしたんだよ、それ」
帰宅したスコールをいつものように迎えたジタンが、手に抱えた花束を見て目を丸くする。いざジタンを目の前にすると何と言って渡せばいいのか、今更ながらに気恥ずかしくなった。
玄関ホールから動けずにいるスコールを呆然と見つめるジタンに、訝しがられているのかと焦りが出てしまう。―――それがジタンがスコールの姿に見惚れているのだということに、当の本人は気付いていない。
「うえっ?」
スコールが花束をジタンに差し出すと、我に返ったジタンがびくりと体を震わせ、裏返った声を出した。
「……あんたに」
「オ、オレに?」
「他に誰がいるんだ」
差し出されるままに花を受け取ったジタンがぴんと尻尾を立てる。しかしその尻尾の動きは、歓喜よりも緊張の意味合いのほうが強いようだった。
スコールが花を買った意図が伝わらず困惑させてしまったのかもしれない。やはり物ではなく言葉にしないとだめか、そう思ったが、固まっているジタンの口から漏れ出たのは花の意味を問うものではなかった。
「…………お前の顔で花束を差し出されるのは、さすがに刺激が強すぎるっていうか」
「?」
ジタンの言葉の意味が分からず、スコールが首を傾げる。
花束を見つめるジタンは困ったような顔をしながら頬を赤く染め上げた。ありがとな、と軽く受け取ってもらえるものだとばかり思っていたスコールは、ジタンの予想外の反応につられて顔の温度が上がってしまう。
(か、可愛い)
自分がジタンの目にどう映ったのかは分からないが、スコールにとっては今のジタンのほうがよほど刺激が強い。
花束に顔を埋めそうになりながら小さな声で囁かれた「ありがとう」に、ああ、花を選んで良かったと、スコールはしみじみと感じ入った。


「これ、スコールが買うには珍しい色だよな」
ようやく玄関から移動し、花束を大事そうに抱えながらジタンがそんな事を言った。
スコールの好みは黒やシルバーなどのシックな色合いだ。さすがに花束で黒を選ぶ事はないが、太陽のような鮮やかなカラーを誂えるのは確かに滅多にない。
「それは……、あんたの事を考えていたからかもしれないな」
思えば、ジタンの好みは考慮していなかった気がする。ジタンのような花をジタンへ贈る、それはただの自己満足でしかないのではないか。
そう、少しばかり後悔しながらジタンへ視線を向ければ、立ったままの尻尾の毛を逆立て、顔を真っ赤にして固まっていた。
「お前、今日はかなりやばい……」
顔から蒸気を噴出しそうになりながらジタンが地面にへたり込む。
先ほどから何がやばいというのか。スコールは最後まで理解できないまま、再び首を傾げる事になった。






 ・花の散る夜



はらりと音も立てずにオレンジ色の花弁がひとひら、テーブルの上に落ちた。
花束を贈った翌日に朝から花瓶を買ってきたジタンは、それから毎日花の世話をしていた。思えば家に花瓶があるかどうかの確認すらせずに花を買ってしまったあたり、後先を考えなさすぎであった。
丁寧に手入れをされた花はずいぶんと長持ちして二人の目を楽しませたが、どうしても散る時は来るものである。枯れ始めた花を間引くジタンの後姿は少しばかり寂しそうに見えた。今、花弁を散らした花も明日には花瓶から消えることだろう。
「スコール」
ぼんやりと花を見ていたスコールの顔に影がかかる。明かりを落としたばかりの暗い部屋の中、唯一点いている間接照明が逆光となり、声をかけてきたジタンの顔は見えない。
しかし見えずともどんな表情をしているのかは想像がついた。スコールの名を囁いた声がやけに甘いからだ。その声色にどきりとして腰を掛けていたソファから背を起こそうとするが、それよりも前にジタンの手がスコールの肩を押して動きを遮った。とはいえ、強い力で押されたというわけではないのだが。
膝の上に体重がかかったのを感じた頃にようやく暗闇に目が慣れ始め、スコールは膝の上に馬乗りになったジタンの表情を窺う。
「……っ」
うっとりと細められた瞳はやけに艶っぽく、年齢よりも幼く見える容姿との差に思わず息を呑んだ。こういう顔をしている時のジタンが何を求めているのか、それが分からないほど浅い付き合いはしていない。
スコールが呆然とジタンに魅入っている事に気付いたのか、ジタンは煽るように赤い舌を出して己の唇を舐めた。
「こ、ここでか?」
「たまには、さ」
すぐ横に寝室があるというのに、わざわざこんな狭い場所で抱き合う必要はないじゃないか。そうスコールは思うものの、ジタンは環境を変えることで高揚しているようだ。更に体重をかけられ、ぎしりとソファのスプリングが軋む。
肩に触れていたジタンの指がスコールの首を撫で、手のひらで包み込むように頬に触れてきた。そして肌の感触を楽しむように撫でてくる。頬の温度が上がっているのは気付かれているだろう。顔に手を添えられたままジタンの顔が近付いてきた。口付けられる、そう思ったが、柔らかな唇の感触を感じたのは額だった。
「…………」
つい閉じてしまった瞼を開ければ、ジタンの背で機嫌よく振られる尻尾が見えた。額、目元、と次々に口付けられ頬を撫でられるのは、愛撫というよりも子どものように甘やかされている気分になる。
元々ジタンはスコールには甘いが、花を贈って以降はそれが増長された気がしてならない。スコールよりも一回り以上小柄なジタンが膝に乗る様子は傍から見ればジタンが抱き上げられているように見えるはずだが、スコールの心境はその真逆である。最初こそ恥じらいはしたが、今では慣れてジタンの好きにさせる事にしている。分かりやすく愛情を注がれるのは素直に嬉しかった。
顔に触れるジタンの唇に気を取られていると、スコールの足の甲にジタンの尻尾が触れてきた。裸足の肌をくすぐる毛の感触に意識がそちらへ向くと、さらに不意をつくように唇を塞がれる。触れ合うだけの口付けは今のジタンの心情を表しているかのように甘い。薄い皮膚同士が擦れるくすぐったさと体温に心地良さを感じながら胸に体重をかけてきたジタンを抱き留めると、ジタンは唇を離し、至近距離でスコールの顔を覗き込んできた。
「……何だ?」
「やけに素直だなと思って」
(俺を何だと思ってるんだ)
くすくすと笑いながら髪を撫でてくるジタンにスコールは不満げな顔をしてみせるが、キスひとつで顔を赤らめ硬直する事のほうが多い自覚があるため、何も言い返せない。ここ最近でそれが軟化したのは、好意は言葉ではなくとも態度で示せば良いとあの花が教えてくれたからだ。
それでも口付けられれば相変わらず鼓動は早くなり、心臓の音が耳の中で反響してうるさくなる。スコールはそれを落ち着けるように息を吸うと、仕返しとばかりに目の前のジタンに口付けし返した。触れた唇をすぐに離すと呆気にとられたジタンが視界に入る。そして照れて困ったかのように視線を外す可愛らしい姿を見せた。そんな表情に魅入っているスコールの視線に気が付いたジタンが、己を支えるスコールの手を尻尾で軽く叩いてくる。
「今日はオレがするって決めてるんだから大人しくしてろよ」
「それは……いつもと変わらないな」
ジタンが主導権を取りたいという意味なのは分かるが、わざわざそう宣言せずともスコールがジタンに翻弄されるのは常のことだ。しかしジタンはスコールの反応が不服なのか、更に尻尾で腕を叩いた。
「お前は自覚がないみたいだけどさ、いつも最後は……。とにかく今日はオレがする」
「……?」
スコールの返事を待たずに、ジタンは再び唇を重ねてきた。今度は触れるだけの軽いものではなく、唇の合わせに舌を這わせて口を開けようと動く。皮膚の薄い過敏な部分をつつかれ、促されるままに口に隙間を作ると、熱い舌が入り込んできた。
ちゅ、と濡れた音が静かな部屋に落ちる。重なる口から漏れる互いの息遣いがやけに大きく聞こえた。
「ん……」
その間もジタンの手はスコールの髪や耳を愛しそうに撫でてくる。普段からスコールは自分から積極的に触れるということは羞恥が勝ってあまりできないのだが、いざそれを禁止されてしまうと触れたい欲求が湧き出てくるものだ。視界に入る金の髪に触れたくなり手を動かすが、それを咎めるようにジタンの尻尾が指に絡みついてきた。
ふわりとした手触りの良い毛並みに指が沈む。スコールの顔を愛でることに忙しい手の代わりにしたのだろうが、ジタンは忘れているのだろうか。
スコールが何よりもジタンの尻尾に触れるのが好きな事に。
「―――あっ」
手に絡んだ尻尾の先端をきゅっと握ると、ジタンが背を震わせて小さな声を上げる。尻尾はスコールの手から逃れるように大きくうねるが、すかさず根元を握ると触れ合っていた唇がひゅっと息を吸う振動を感じた。
「お、お前、動くなって……」
スコールに負けじとジタンは首筋に顔を押し当てると、耳の後ろを軽く歯を立ててきた。同時に熱い舌で皮膚を舐められ、濡らされた肌が粟立つ。スコールは首をすくめて下肢から頭まで抜けるように走る快感に耐えた。
「う……」
触れた箇所に痺れを感じるのと同時に肌を吸われ、赤い痕を残される。ジタンはその痕を確かめるように舐めると体を起こした。
「今日は絶対に負けないからな」
「勝ち負けの問題なのか……?」
翻弄された側が負けというのならば、スコールはいつも負けっぱなし気がしてならない。しかしジタンの言い様ではそうではないらしく、スコールの考えが纏まらないうちに唇を塞がれた。そして反応し始めている雄を服越しに握られ、思考は四散してしまう。

やっぱり負けは俺のほうじゃないか、体の奥に灯る熱を感じながら、スコールはせめてもの抵抗として掴んだままのジタンの尻尾を荒っぽく撫でた。