うしゃぎさん 5

「ただいま…、…?」
ふう、と溜息をつきながら部屋に入ったセレスは、いつもとは違う部屋の様子に眉をよせた。
いつも鬱陶しいくらいに彼のまわりを飛んでいる“うしゃぎ”が、1匹もいない。
そしてなにより、彼の身にまとう空気が穏やかなものではなかった。
「どうしたんだい?珍しく不機嫌だね」
うしゃぎ達は主人が発する空気に本能的に怯え、外へ散っていったのだろう。
今の彼に近付ける者など、セレスくらいのものだ。

ふわり、とセレスが彼の側に舞い降りる。
椅子に座っている彼を後ろから抱きしめても、彼は不帳面を崩そうとしなかった。
いつもなら、抱きしめてあげると嬉しそうにするというのに。
「僕のいない間に何があったんだい?」
「…」
彼は答えない。
「ねえ」
「………」
「…誰かに、何か、言われた?」
「………、…違う」
神は必ずしも全ての天使に崇拝されているわけではない。
ごく少数だが、彼を快く思わない輩もいる。
その感情をぶつけられれば、彼はそれは自分の咎だと、全ての天使を幸せにできないのは自分のせいだと、そう抱え込んでしまう。
いつも何かに怒っているセレスだが、その時だけは本気で憤り、そして嘆くのを彼は知っている。
セレスに心配をかけたくなくて、彼はようやく口を開いた。
「…違う、そうではないんだ」
彼の言葉にセレスは抱きしめる腕を緩めた。
彼の肩に額を置き、優しい声で訊ねる。
「じゃあなんだい? 言葉にしてくれないと、わからないよ」
彼が困ったように目を泳がせる。
後ろに目をやるとセレスと目が合い、1つ溜息をついて観念して口を開いた。


「…耳を…」
「……は?」
「耳を、人間に触らせただろう」


セレスは片耳をぴくりと動かし、そして脱力した。
耳。また耳なのか。
「私もまだ、触ったことがないのに…」
彼が面白くなさそうに言う。
この顔の人間はふわふわしたものに目がないのか。セレスはあまりにもしょうもない理由に目眩を覚える。
「…見てたのかい?」
「覗くような事はしていない。誰かがセレスに触った気配がするから、わかっただけだ」
人間の臭いがついてたというわけか。
もしかしたら、彼の嗅覚(?)はうさぎより優れているかもしれない…。
だがそこで、セレスは気付いた。
彼は、自分が彼にまだ触らせてない部分を他の者に触れさせたことに嫉妬しているのだ。
自分が“花”をもらえない事を、面白く思わなかったように。
「馬鹿だね、君は」
呆れ半分。嬉しさ半分。セレスは再度、彼を抱きしめた。
「触りたいなら触ればいいじゃないか。耳でも尻尾でも」
彼の目が見開かれる。
そして「いくらなんでも尻尾は…」と赤くなった。


いくらでも触ればいい。
耳も、髪も、羽根も、尻尾でも、どこでも。
自分は彼のために存在する、うさぎなのだから。



彼が少し照れたように、嬉しそうに、耳に手を伸ばしてきた。